2014年3月24日月曜日

私の嫌いなCMについて その1:日清食品「SURVIVE!」。

こんばんは、武藤です。

昨日、J.S.ミル,竹内一誠訳『大学教育について』(岩波文庫,2011年)を読み終えました。一通り読みましたが、「言わんとしていることはわかるけど…」みたいな、そんな感じでしたね。これに関してはまた追々まとめます。


その話とは全然関係はないですが、最近、テレビで流れているCMの一部が非常に悪ふざけがすぎるように感じるのは私だけでしょうか。普段はあまりゴールデンタイムの時間帯の番組は観ないですが、たまに観たときなどにそういったCMが目につくと、正直イラッとします。

例えば、日清食品のこのCM。 
カップヌードル「SURVIVE! 就職氷河期 篇」30秒
http://www.nissinfoods.co.jp/product/cm/show_cm.html?cm_id=436


今考えている限り、このCMは2013年度で一番「ひどい」CMだと私は考えています。このCMは、今この現代社会で就職先が見つからず苦しむ数多の学生をバカにしている、極めて不謹慎な内容ではないでしょうか。

いわゆる「就職氷河期」と呼ばれ、希望の職種・企業などに就職することが非常に難しくなっている昨今の就職事情ですが、日本の社会をその「就職氷河期」に突入させたのは一体どこの誰でしたか。我々「氷河期世代」よりも前に就職した世代の人々がヘタを打ったから、今の現状があるのではないですか。
バブル期にすんなりと就職をして自分たちはのうのうと楽して生きてきたクセに、いざバブル崩壊後に景気が悪くなれば「就職氷河期だ就職氷河期だ!」などと騒ぎたて、今ここで苦しむ我々若者を絶対安全圏からふんぞり返って見下している。あまつさえ「イマドキの若者は努力が足りない!」などとのたまい、自らの(偶然と幸運だけで構成された)成功体験と現状の若者の姿を比較して悦に浸り、理不尽極まりない恫喝を交えた「圧迫面接」をして氷河期世代をいたぶり楽しむ…。

このCMは、まさにそういった世代の「醜い」心性が滲み出ているようです。このCMはそういった「人間の醜さ」が凝縮された史上まれに見る「駄作」です。少なくとも私はそう思います。

何が一番救えないかといえば、当の日清食品がこの最低なCMについて


"これからの時代を生きていく若者たちに、「さまざまな困難に立ち向かい、乗り越えてほしい」という思いを込めた「SURVIVE!」というメッセージ。
圧倒的なスケールの映像と共感をよぶ台詞で、カップヌードルらしい、楽しく、笑えて、熱くなるエンターテイメントなCMを作っていきます。 "(公式HPより)



などと述べているところです。口の悪い書き方ですが「どの口がそれを言うんだ」と製作者を問い詰めたいですね。
まず第一に、一文目の「さまざまな困難に立ち向かい、乗り越えてほしい」という文言が気に入りません。そもそも我々より前の世代が致命的なミスをしさえしなければ、今この現状はなかったのではありませんか。私は経済学の専攻ではないので詳細を知るわけではありませんし、その分野について何か専門的なことを提示できるわけではありませんが、バブル崩壊後に訪れた経済不況に備えてリスクヘッジをする余地はなかったのですか。

あなた方は自らが好き勝手にやった結果残った後の尻拭いを押し付けた相手に、「さまざまな困難に立ち向かい、乗り越えてほしい」などと平気で言う。あなた方に「恥」という概念はないのですか。「良心の呵責」はないのですか。自分たちは安全圏で何の苦労もなく生きているクセに、何が「SURVIVE!」ですか。ふざけるのも大概にして欲しいです。

また、二文目も最悪の文面です。にわかには信じがたいことですが、日清食品の社員一同はこのCMを「楽しく、笑えて、熱くなるエンターテイメント」だと考えているようです。これを楽しいなどと形容できるその感性を、私は疑わずにはいられません。実に「醜い」感性だと思います。

他にも書きたいことはいくつかありますが、今回はとりあえずこの辺で。
少なくとも今言えることは、今後何があっても日清食品および関連企業に就職することはこれでなくなったということです。もっとも、私は果たして就職活動ができるのかすら定かではありませんが…。その辺りは私の努力次第なところもあるので、今は自分のするべきことをしっかり頑張ります。
また、現状、他にも2つほど「嫌いなCM」があってそちらにも文句を言いたいので、それらにはまた後日改めて文句をつけていきたいと思います。



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2014年3月22日土曜日

J.S.ミル,竹内一誠訳『大学教育について』内容まとめ。

こんばんは、武藤です。

やはり実家は落ち着きます。落ち着きすぎて今ひとつ勉強が捗りませんが、これに関しては東京にいてもだいたい同じなので、特に環境の違いというわけでもなさそうです。とりあえず、春休みも残り僅かですが、ある程度英語の勉強だけは継続して続けていきたいですね。英語に関してはどう転んでも今後必要になるスキルですが、これまでの学校生活の中でもそれほど得意でもなかったこの科目をいまさら独学で始めてみても、正直な所イマイチ面白さが感じられず…ちょっとだけ辛いですがそうも言っていられません。やるだけのことはやりましょう。

さて、昨日あたりからぼちぼちJ.S.ミル,竹内一誠訳『大学教育について』(岩波文庫,2011年)を読み進めています。文庫自体は180ページほどしかない本ですが、読んで見た限りでは、J.S.ミルの大学教育に関する視点・問題意識がしっかりと述べられているテキストだと思いました。私はまだ「2 文学教育」の章を読み終えたところですが、ここまでの内容で印象に残った点などを個人的にまとめてみようと思います。

まず第一にJ.S.ミルが問題意識を持っていた点として、大学という機関の「役割」という論点を挙げられると思います。J.S.ミルは、大学という機関について、「職業教育の場」(J.S.Mill,竹内訳 2011:12)ではないとする立場を明確にします。J.S.ミルによれば、大学という教育機関は確かに専門的な知識の教授を行う場ではありますが、それら専門的な知識は、何かしらの職業に就いて生計を立てるためのツールであるとは考えません。J.S.ミルは、そういった専門的な知識を教授することを通じて、「有能で教養ある人間を育成する」(J.S.Mill,竹内訳 2011:12)ことを目的として想定します。

もちろん、例えば現代日本の大学における医学部での教授内容は、一般的に「医者」と呼ばれる職業において必要になる知識と一定の共通性があり、法学部での教授内容は、一般的に「弁護士」と呼ばれる職業などにおいて必要になる知識と共通性を持つでしょう。しかし、だからと言ってそれらの知識をただ職業のためのツールとして使用することに対してJ.S.ミルは否定的な立場を示しました。
この点においてJ.S.ミルは、大学において教授される専門的な知識を、正しい方向へ利用し正しい方向へ深化させていくことができる能力を獲得するためのツールとして考えます。この能力をJ.S.ミルは「一般教養(general culture)」と表現しました。つまり、大学で得た知識をそのまま利用しているだけの医者や弁護士はJ.S.ミルから言わせれば「無能」であって、大学で得た知識に対して自らの考え・発想をもってより深く考察し、その真理に近づこうとする姿勢を兼ね備えた医者や弁護士こそ「有能」であると考えます。そしてそういった「哲学的」な姿勢を身に付けるということこそが、大学という機関の「役割」であると考えました。

しかし、もし大学にそういった役割があるならば、大学という機関で教授されるべき知識とはどういったものがあるのかという大学教育の「領域」に関する問いが生じます。その役割を十分に果たそうと考えたとき、あまりにも初歩的なことばかり教授していたのでは、学生は理想的な「哲学的な姿勢」を獲得する前に卒業を迎えてしまいそうです。J.S.ミルとしても、大学まで進学してきた学生に対してあまりにも初歩的な内容を教授することは無意味であると考えていたようです。

そこでJ.S.ミルは、大学において学生が学ぶべきことは「知識の体系化」(J.S.Mill,竹内訳 2011:15)であると考えました。つまり、大学での教育により得る様々な領域、分野にわたる知識をそれぞれ相互に関連付けて、必要な物を取捨選択しながら自らの持つ知識全体を見渡す見取り図を作り上げるという営みこそ、学生が大学において為すべきことであるとJ.S.ミルは考えました。その意味でJ.S.ミルは大学を知識の教授の場ではなく「知識の哲学を教える機関」(J.S.Mill,竹内訳 2011:16)として想定していると私は考えました。しかし、大学をそういった位置づけで考える場合に関して、またひとつの問題が生じます。つまり、「知識の哲学」を教授する前段階として、教授される側の学生がそれに見合うだけの「知識」を持っていることが確認できなければ教授する意味がないのではないかという問題があります。その点においてJ.S.ミルは少なくともスコットランドの大学システムは、そういった点に着目する限り優秀なシステムを持っていると述べています。すなわち、スコットランドのすべての大学は「他の学校の不足を補うためのハイ・スクール〔上級中学校〕でもある」(J.S.Mill,竹内訳 2011:17)という特徴に他の国家に見られない優位性があると考えたようです。

とりあえず今回はここまでで。続きはまた今度書きます。


・参考文献
J.S.Mill『大学教育について』(竹内一誠訳,岩波文庫,2011年).


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2014年3月21日金曜日

私が出会った「常識のない大人」の話。

こんばんは、武藤です。

昨日は帰省してからいろいろなことがあって更新ができませんでした。北海道は相変わらず寒いですが、先月と比べると寒さも緩みそれなりに過ごしやすいです。10日ほどの滞在ですが、新年度に向けてすることはたくさんあるので、しっかり目的をもって頑張りたいと思います。


さて、話は変わりますが、昨日の移動中にちょっと嫌な気持ちになる出来事がありました。
私はいつも新千歳空港から地元の街までは電車を利用します。今回はその電車の中でちょっとにわかには信じられない光景を見てしまいました。

電車の中で座席に座っている40代ほどの女性が、満員の電車の中で足元に置いてあったゲージから小型犬を出して来て、隣のシートに座らせたのです。

率直に言わせてもらえば、その行動は全く理解できませんでした。百歩譲って「動物の社内持ち込み」 それ自体は条件付きで認められているので良いとしても、その条件を破ってまでペットを隣に座らせる行為そのものに何かしらの疑問を抱くことはなかったのでしょうか。ちなみに、一般的に言って電車内において「動物の社内持ち込み」が認められるための条件は、「その動物を一定サイズのゲージに入れて、絶対に取り出さないこと」です。

私としてはそんな堂々と違法行為するさまを見せつけられるのはとても嫌なので、タイミングを見て自ら気づかないようなら怒鳴りに行くつもりでいましたが、新千歳空港駅から札幌駅を通過しても改善の余地は見られません。それどころか途中から乗り合いになった乗客ですら「かわいいわね~」などと話しているのが見えて、これはもしかすると私のほうが間違っていて、本当はペットもシートに座らせていいことになっているのではないかと疑いすらしてしまいました。

さすがにそんなモヤモヤした気持ちで実家の最寄り駅まで行くのは…と思い、思い切ってJRの乗務員に確認してみました。私が「アレ(問題の乗客を指さして)、ルール的にいいんですか?」と聞いてみても、「いや~、本来ならダメなんですけどね~」と歯切れの悪い返事。ここで私の不満は頂点に達しました。
「ダメならさっさと注意しにいけよ!なに素通りしてるんだ!」 と怒鳴りつけ、注意させに行きましたが、冷静に考えてもここで乗務員を怒鳴りつける意味はありませんでしたね。結局しぶしぶ注意しに行きましたが、乗務員からやんわりと注意された彼女からすれば「なんだか頭のおかしい若者に注意されて気分が悪い」くらいにしか思われなかっただろうなと反省しました。

ここは多少事を荒らげてでも、私が直接怒鳴りにいったほうが良かったと思いました。私のような「若造」に大声で怒鳴られることは、普通の人間にとってはこれ以上ない「屈辱」でしょう。そういった屈辱が反省に変われば「指導」が「教育的成果」へと転化したということが出来そうですが、乗務員から「やんわり」注意されたのではその指導による教育的成果も芳しいものにはならなさそうです。

もちろん、今回の一件に関しては私は一切の物理的損害を受けていませんが、先にも書きましたように「目の前で堂々と違法行為を見せつけられる」のはとても気分が悪くて今回はこのような行動をとりました。
実害を被っているわけでもないのに怒り狂って乗務員を怒鳴りつける私は確かに「頭のおかしい若者」だったかもしれません。しかし、「いい年した大人」が、その程度の常識もなく、あまつさえ私のような一介の「若造」に注意をされてしまうこの現状はあまりにもおかしい状況だったと思いました。



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2014年3月19日水曜日

伊豆下田旅行ダイジェスト。

こんばんは、武藤です。

つい先程、2泊3日の伊豆下田旅行から戻ってきました。短い期間でしたが、色々なところに行くことができてとても良かったです。

今日はこれ以外に特に書くべきことがないので、以下に旅行中に取った写真を貼りつけて旅行の様子をダイジェスト形式でまとめていきます。





行きの移動には特急「踊り子号」を利用しました。普通列車で行くとそれなりに長い時間がかかりますが、この特急列車を利用することで東京-修善寺までおよそ2時間半ほどで行けました。座席は指定席で無理なく移動することが出来ましたが、今回たまたま予約した座席の近くに、我々の「同業者」の集団がたくさんいてそれなりに大声で騒いでいたのでちょっとだけイラッとしました。旅行で楽しい気分になるのは分かりますし声を出すなとは言いませんが、もう少しTPOをわきまえた行動を期待したかったです。




修善寺駅に着いてからは、 タクシーでサイクルスポーツセンターに行きました。
平日の昼間ということもあり、センター内は閑散としていて少し寂しい雰囲気でしたが、逆に我々の貸し切り状態だと思って思い切り楽しみました。スポーツ自転車を借りて山道をサイクリングしたり、電動自転車で友人(偶然この写真に写り込んでしまっている彼です。後ろ姿だけだったので加工せずそのまま貼りつけました)とデッドヒートを繰り広げたりしてはしゃぎ回った結果、見事に両足が筋肉痛になりました。




サイクルスポーツセンター内の河津桜。聞くところによるとピークはもう過ぎてしまっているとのことですが、ここの河津桜はまだ咲いていました。濃いピンク色でキレイでした。来年以降はシーズン中に見に来たいと思いました。






サイクルスポーツセンターで散々遊んだ後は、宿への通り道に通りがかった「浄蓮の滝」を見てきました。自転車で疲れきった脚には280段あまりの石段はあまりにも酷な道のりでしたが、苦労して見た浄蓮の滝は大迫力でした。浄蓮の滝への道の途中ではワサビが群生しているところもあり、この水の水質が良いことを示しているようでした。

浄蓮の滝を見た後はそのまま旅館にチェックインして、下田市内で晩ごはんを食べて初日は終了しました。



2日目は朝から下田市内をあてもなくそぞろ歩きながら観光をしてきました。写真はそのスタート地点の香煎通りです。




2日目の昼食は道の駅「開国下田みなと」内にあるお店で「下田バーガー」というハンバーガーを食べました。下田名物の金目鯛を使ったハンバーガーで、ボリュームもありとても美味しかったです。




食後に近くのおみやげ屋で買った伊豆ニューサマーサイダー。ニューサマーオレンジという品種のオレンジを使ったサイダーで、さっぱりしつつもしっかりした甘みがありこちらも美味しかったです。

 



 




昼食後は下田城山公園を散策しながら下田海中水族館に行きました。道中の展望台からは下田市内や寝姿山が一望できて、なかなかの絶景でした。



 水族館では、ちょうどイルカショーが始まるところだったのでまずはショーを見学。水族館は久しぶりに来ましたがトレーナーとイルカの息の合ったコンビネーションはとても見ごたえがありました。写真はトレーナーがイルカの上にのってサーフィンをしているところです。






ショーを観終わったあとは、順路に沿って進みながら様々な動物を見ました。たくさんの種類のクラゲをみることができるエリアでは、クラゲのフワフワとした動きが醸し出す不思議なムードで心が癒やされました。
2日目はこの後了仙寺や下田開国博物館などを見学して、晩ごはんを食べて終了しました。




そして最終日の今日は、爪木崎まで足を伸ばして一足早く海岸で遊んできました。
さすがに海には入れませんが、海水はとてもきれいで、今度は是非夏になってから来たいなと思いました。
その後は2日目同様「開国下田みなと」で昼食、おみやげなどを各自購入してから、15時の普通列車でゆっくりと東京に戻りました。このあたりは疲れて寝ていたのであまり写真の記録がありませんでしたが、伊豆急下田駅から熱海駅へ向かう電車内から見た伊豆多賀駅付近の景色が絶景だったことが特に印象に残りました。


以上が今回の旅行の大まかなルートです。玉泉寺や観音温泉など時間の関係上行けなかったところはたくさんありますが、たった一回の旅行で全てを網羅できるほど狭い場所でもないので、今回行くことができなかったところはまた今度行ってみたいと思いました。


では、今回はこの辺で。旅行から戻ってきた直後なのでゆっくり休みたいところですが、明日は昼の飛行機で北海道の故郷に帰省する予定になっているのでそろそろ寝ます。寝坊して飛行機に乗り遅れてしまわないかとても心配です。頑張って起きます。



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2014年3月16日日曜日

吉祥寺に遊びに行ってきました。

こんばんは、武藤です。

今日は翌日に控えている伊豆下田旅行の準備などで外出したので、準備のついでに吉祥寺まで足を伸ばして買い物をしてきました。


吉祥寺まで行って私が行くところといえば「ジュンク堂書店 吉祥寺店」くらいのものですが、この間はせっかく行ったのにもかかわらず買おうと思っていた本を買いそびれるという致命的なミスをしてしまっていたので改めて行ってきました。

さすがに今日は日曜日ということもあり、非常に混雑していていつものようにゆっくりと見て回ることはできませんでしたが、ひとまず先日買いそびれていた本は無事手に入りました。





今回購入したのは、土井隆義『友だち地獄 ─「空気を読む」世代のサバイバル』(ちくま新書,2008年)と、戸田山和久『哲学入門』(ちくま新書,2014年)の二冊です。

『友だち地獄』に関しては、先日の投稿で触れたのにもかかわらず未読だった文献なので、この機会に読み終えて再度この問題を考えてみたいと思いました。

『哲学入門』は先日出たばかりの新書です。実は私は著者の戸田山和久氏とは一度某所にてお会いしていて、そのときに聴いた科学哲学に関する話が難解ながらも面白く感じたので『科学哲学の冒険 ─サイエンスの目的と方法を探る』(NHKブックス,2005年)などを読んでみたりもしていました。先日、その戸田山氏が新たに入門的な書籍を出版したことを大学近くの書店で知ったので、今回は購入する予定ではなかったものの衝動買いをしてみた次第です。


元々、科学哲学は私の専門分野とは少し遠いところに位置する分野ですが、専門的なことまでは把握できずとも、私の理解が及ぶところまでは理解しておきたいと思っています。ただ、「モードゥス・ポネンス」のような論理学的な部分の説明で目を回してしまう私にとってはなかなか一筋縄ではいかないところもあるのは事実ですが…現時点では科学哲学という分野は、特に研究材料として必要なわけでもないので、自分のペースでゆっくりと理解していくスタンスをとりながら学んでいます。

今回購入した『哲学入門』に関しても、同様のスタンスを取るつもりですが…




新書なのにこれだけのページ数があり(計446ページ)、読み終えるまでにはそれなりの時間がかかりそうです。焦って読んでも仕方がないので、例によってゆっくり読み進めていこうと思います。

では、明日は早朝から伊豆下田へ向けて移動するので今日はそろそろ寝ます。
3日間という短い期間ですが、しっかり遊んでリフレッシュしてきたいと思います。

なお、明日から3日間はおそらくブログの更新はできないかと思いますがご了承ください。


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2014年3月15日土曜日

サークルを辞める準備が全て終わりました。

こんばんは、武藤です。

昨日は、今年度最後のボランティアでした。来年度からはサークルを移籍して別団体の所属になるため今回が実質的に最後の活動でしたが、別段何が起こるでもなく無事に終了しました。

今年度は主に金曜日レギュラーとして、ある年代の子どもたちの卓球の練習のアシスタントを主に担当していましたが、これといって特に卓球の経験がない私は、まずは一通りラリーができるようになる必要があり、最初はとても大変でした。

最初の内は毎回辛いなと思いながら補助をしていましたが、何をやらせても「普通」な私も夏頃になるとかなり動きがこなれてきて、だんだんと余裕が生まれてきましたね。内容が内容なだけにあまり多くを書けませんが、とても貴重な経験を数多くさせて頂けました。


また、今年度の活動が終了したことで、めでたく私の元サークルでの残務が全て終わりました。
今、サークルは「追い出しコンパ」と称して卒業生と共に三浦海岸の方へ合宿へ行っているところでしょうが、「裏切り者」の私にはその合宿に行く資格も理由も意味も義理もないので、今はのんびり「アド街」を観ながらこの記事を書いています。私も内心驚いていますが、今まさに(3/15 21:28現在)放送中の「アド街」で扱われている「伊豆下田」には17日から友人と旅行に行く予定になっているので、その予習を兼ねて観ています。2泊3日のちょっとした小旅行ですが、こういった旅行ができるのもモラトリアム期にある大学生の特権ですね。今から楽しみです。


それでは、今日は特に書くこともないので今日はこの辺で失礼します。



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2014年3月13日木曜日

「友だち地獄」を感じました。

こんばんは、武藤です。

今日は雨の中大学と自室を行ったり来たりで大変な一日でした。本来であれば1往復で事足りた用事でしたが、最近は物忘れが激しく、大学に到着してから忘れ物に気づき取りに戻るという無駄な行動をしてしまったために余計な費用がかかってしまいました。今は毎日大学に行くこともないので定期は買っておらず、この時期に大学へ行くと毎回交通費がかかってしまい、とても損をした気分です。


さて、今日は昨日の投稿の続きです。
この間新宿で友人の誕生日プレゼントを購入した後、私は大きな買い物をしてしまいました。






ニンテンドー3DS本体(中古)と、ポケットモンスターXです。
実は前々から私の友人の一人に積極的な勧誘を受けていて、その都度私はお茶を濁したような応答で切り抜けていたのですが、今回新宿の某古本屋にてそこそこの安さで置いていたのを友人が見つけてしまい、熱心なマーケティングに負けて購入する運びとなってしまいました。

この書き方からも分かるかと思いますが、今回のこの買い物は私個人としては非常に不本意です。

もちろん、このゲームがどうこうというわけではありません。私はプロフィール欄にわざわざ書いておく程度にはゲームという娯楽が好きですし、実際に、ここまでの人生の決して少なくない部分をゲームに費やしてきました。ゲームそれ自体は好きですが、今回に関してはそれ以上に大事なことがあるような気がしていて、なかなか気が進みませんでした。

私も来年度からは3年生です。前々から繰り返し書いているように、私には、早い段階から卒論の準備を着々と進めていって、無理なく卒論を仕上げて無事に大学を卒業していこうというささやかな「野望」があります。 そのために今は様々な方面の文献を読み、自分が専門的に研究していきたいと思えるテーマを深く掘り下げていく時期だと思っていますが、今回のこの買い物は、そういった卒業までのスケジュール設計に支障をきたしてしまう危険性があるように思います。

もちろん、プライベートと両立させながら研究を進め優秀な論文を仕上げて卒業していった先輩は探せばいくらでもいることでしょう。しかし、彼らはそういった芸当のできる限られた「才能のある人間」であって、特にこれといった才能を持たない私が同じことを同じようにできると夢想するのは、あまりにも現実味がないように思います。私は、「凡人でも、その気になれば一部の有能な人間と同様の品質を維持した行動ができるだろう」などという浅ましい考えは、大学に入学する際に捨てました。

さらに、イマドキの(当然ながらこの「ポケモン」シリーズも、私は初代からプレイしています)ポケモンはオンライン環境の発達により、プレイヤー間での対戦が非常に充実しています。Wi-Fiによるオンライン対戦は「通信ケーブル」という概念そのものを消し去りましたし、ワイヤレスで世界の誰とでも手軽に通信対戦ができることは科学技術による恩恵であるといえるでしょう。

ただ、それゆえに、今の私にとっては困った問題を引き起こすツールとなってしまいます。それ程に手軽に通信対戦ができるようになるということは、私の空き時間の過ごし方の選択肢の一つに友人たちと対戦をして過ごすというものが組み込まれてしまいます。そうなってくると相対的に文献を読み進めたり自身の研究を進めていく時間が少なくなってくるでしょう。それは一日単位だとそれほど長くはないですが、それが累積していった場合、最終的なゴールに大きな違いが生じてしまうかもしれません。そう思うと、私は今はとてもこのゲームで遊べる状態にはないような気がしてきます。

しかし、今実際問題としてここに買ったばかりの3DSとポケモンXがあるわけで…これを何とかしないことには何の進展もありません。これが私一人で完結するゲームであれば、これをこっそりクローゼットの奥にでもしまってしまうところですが、そうできない理由がどうしてもあります。

先にも挙げているように、このゲームはそのシステム上、自分の進捗状況が他者の行動に一定数の影響を与えます。すなわち、対戦相手としての他者が、自身が対戦するにふさわしい段階にあるか否かが、このゲームの魅力の一つとなりうるということです。そのため他のプレイヤーは相手が「自分が対戦するにふさわしい」段階になるまでにありとあらゆる「援助」をしようとします。そして、その「援助」は、相手の意志を顧みるという段階を経ないことが多いように思います。

となれば、私は彼の「援助」を盛大に受けつつ、彼にとって「ふさわしい対戦相手」となるために、このゲームを攻略していかなければならない。そういったステージに立たされたことになります。


私はここまでの一連の流れに、土井隆義氏が「友だち地獄」と表現したようなものが見え隠れしているように思いました。実はこの土井隆義『友だち地獄 ─「空気を読む」世代のサバイバル』(2008年,ちくま新書)はまだ読んでいないので、本分に即して詳細に考察を加えることはできませんが、できれば春休み中にもう少し深く考えていきたいと思いました。


とりあえず、この3DSはしばらく放置することにします。 幸か不幸か、今回購入したこの3DSは使用中に突然電源が切れるなど、随所にいくつか異常が見られるので、しばらくはこれを理由に放置しようと思います。

2014年3月12日水曜日

友人の誕生日プレゼントを買いに行ってきました。

ご無沙汰しております、武藤です。

ここ数日、色々と予定が立て込んでいてなかなか更新できませんでした。元々毎日更新するつもりなどあまりなかったわけですが…長期休暇中はそれなりにまとまった時間もとれるので、今のうちに書きたいことをある程度書き尽くしてから新年度を迎えようと思う次第です。

それと、先ほどブログランキングというものにこのブログを登録してきました。別に人様に胸を張って見せられるほど高尚なことを書いているわけでもないですが、せっかくなら誰かに見てもらいたいとも思いますしね。それと、私の性格上、誰かが見ているという意識がないとどんどん内容が雑になっていくと思うので、そういった事態に陥らないようにするためにページビューを増やしていこうと思い立ちました。外からの視線があれば、私も多少は真面目に文章を書くようになるでしょう。どうせ書くならもっとしっかりといろんなことを考えて文章にしたいものです。

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さて、ここ数日間は何かと友人と一緒に行動する機会が多くてなかなかハードな生活でした。とはいえ、別に何か激しい運動をしたというわけでもなく、いつものようにただカラオケで散々歌い明かしたり、友人の誕生日プレゼントを買うために新宿の街を徘徊したというくらいのことですが…現役で野球をしていた頃とは違ってもはや体力などほとんどないので、ただ歩くだけでも私にとっては重労働です。

ちなみに、厳正なる協議の結果、友人への私からのプレゼントはこれになりました。






Gakkenのアリの巣観察キットです。
今回誕生日を迎える友人の専攻は歴史学。そんな彼の研究の一助となればと思い、今回はこれを贈らせていただくことにしました。歴史学専攻の友人に生物学的な実験キットを送りつけた上に「今後の研究に役立てろ」とのたまう…我ながらメチャクチャな注文です。

このチョイスからも分かるかと思いますが、我々の間では誕生日には「贈られる本人がとても喜びそうにもないもの」を贈るという暗黙の了解があります。なぜかと言われるとその理由は単純で、そのほうが贈る側も贈られる側も面白いし、何よりネタとしても「オイシイ」からです。








ちなみに私の誕生日は12月で、先日私も同様の方法でお祝いされたわけですが、今年の私へのプレゼントはこの禍々しい大剣と手錠でした。
友人曰く、大剣は「武藤の厨二心を刺激するため」、手錠は「武藤による悪行をいち早く取り締まるため(私はこれまで、彼らに対して『悪行』と呼ばれる行為をした覚えはありません…)」という意味で選んだそうです。普段彼らが私のことをどのように見ているかがよく分かりました。

ちなみにこの大剣は実際に部屋から持ちだしてキャンパス内の広場でチャンバラごっこをするのに使いました。休日の夕方に行ったため、幸い警備の方々に不審な目で見られる程度のダメージで済みましたが、衆人環視の下、この大剣を背負って電車に乗っているのは短時間とはいえとても辛かったです。


そんなこんなで、私たちは日々こんなくだらないことをしながら過ごしています。おかげでスクールカースト的には最底辺に位置づけられている我々ですが、自業自得ですし今更仕方がないですね。

本当はこの辺りのことについて他にもっと書きたいことがありましたが、それについてはまた明日書くことにします。明日はもう少し真面目な話をしようと思います。

2014年3月8日土曜日

「雑記帳」を読み返してみる。

こんばんは、武藤です。

今日も全日フリーだったので、とてものんびりした一日を過ごしました。昨日と違って、今日に関しては本当にすることがなかったので部屋の大掃除をしていましたが、いざ始めてみるとこれがなかなかに面白く…ついつい凝ってしまい部屋中がとてもキレイになりました。





今日は、本棚の下半分の教科書や過去の講義のノートをファイルしたバインダー、ほとんど読まれることのなかった「学習指導要領」などを押し込んでいた棚を整理しましたが、その中から学部1年生のころにつけていた「雑記帳」を発見して、えも言われぬ気持ちになりました。

私は字が汚いため、手書きのノートの中身などはあまり人様に見せたくはない(講義ノートなどに書かれた文字ならばともかく、メモ書き程度のレベルになるともはや私にしか解読できません。暗号としてはそれなりに優秀な字体です)のですが、この雑記帳の中に綴られていた内容がなかなか面白かったので、今日はそれらをいくつか抜粋して紹介したいと思います。


2012年10月15日

・「荷物を置くこと」が「自分の座席を確保すること」になるとは思えない。
だから俺は、(講義中に隣の座席が -武藤註)空いていれば許可なく座るし、それに対していかなる反論も受け付けない。「あなたの」ためだけの座席じゃないですからね。

・「教室で質問をすることを禁止する風潮」はどこ由来のものかね?
きっと教育学の範囲。

2012年10月19日

・「大学」が「研究機関」であるならば、「AO入試」とか「スポーツ推セン(原文ママ)」とかの入試形態は「悪」でしかないね。
「研究者」(=大学生)には豊富な知識が求められるのに
この形式で入学する「研究者」は大体学もなく、基礎もなく、できることといえば
「趣味」のスポーツくらい。果たして彼らは「研究者」たりえるのかね。


ざっと読み返し見て面白かった日の雑記を書き写してみました。読んでみる限り、書いてある内容は日々のタスクやサークルのこと、学業面でいえば歴史学、言語学、教育学、社会学などに関する記述が多くを占めていました。
じっくりと読み進めてみると、当時の私は無い知恵を絞って色々なことを考えていたようですが、悲しいかなそこは「二流大学」の新入生。上記の引用部分もそうですが、考えていることの程度の低さときたら…我ながら残念極まりないです。

上記の引用部分からもわかるように、基本的にこの雑記帳には「感情論」しか綴られていません。その理由は単純で、当時の私はこの雑記帳の用途を「その時思ったことを殴り書きしてストックしておくためのもの」と定義していたからです。どうやら新入生の頃の「私」は曲がりなりにも自身の「研究」観を持っていて、そのために「私」はどのようなことをしなければならないのか、試行錯誤していたようですが、どうやらこの雑記帳の方法「だけ」では不十分であるような気がします。

まずもって足りないのは「根拠」です。どの雑記にも共通して言えますが、このノートに綴られている内容の大半が「事実関係を確認できない印象論」であるように思いました。
引用部分を例に取って見てみます。例えば、10月19日の「大学入試の形態」に関する雑記に書かれている、大体学もなく、基礎もなく、できることといえば「趣味」のスポーツくらい。」という一文などは、その論理の妥当性そのものに疑問があるように思います。

たまたま私の通う大学が「二流大学」であるために、その大学に推薦入試を利用して入学してくる学生の学力が低水準にあるという傾向は確かに見られるかもしれませんが、それを考えるにしてもサンプル数が著しく足りません。大方、当時の「私」は、たまたま初年次必修の講義に居合わせた「推薦組」の学びに対する姿勢を見てそう言っているだけでしょう。極小数のサンプルに見られる性質を、その集団に普遍的に見られる性質として考える「早まった一般化」は、典型的な非形式的誤謬の一例です。もしかしたら、「私」が出会った「推薦組」の学生たちがたまたまそうだっただけで、他の「推薦組」はとても勤勉かもしれませんし、仮に私の通う大学でそうだったとしても、他の大学の「推薦組」の学生たちはみな勤勉かも知れません。その意味で上記の文章には論理的妥当性がないように思います。


しかし、 私はこの「雑記帳」の内容がこれほどまでに論理的妥当性を欠いていたとしても、この記録が完全に無意味なものであったとは考えません。というか、途中で放置した挙句最近までなくしてしまっていたとはいえ、書いている当の本人は「大まじめに」やっていたわけで…それらすべてに私自身が「そんなことしたって無駄だったんだよ。やーいバーカバーカ!」なんて言ってしまうのはあまりにもあんまりなような気が…しないでもないです。
そう思って、以下で少しこの雑記帳の存在意義を擁護(自己弁護?)してみたいと思いましたが、書いてみると思った以上に内容がまとまらないので、また別の機会に改めて考えてみたいと思います。

2014年3月7日金曜日

「『高度な数学』から学び始める」学習法に関する教育思想的分析。

こんばんは、武藤です。

今日は毎週金曜日のボランティア活動以外の予定がなく、とても暇な一日でした。こう暇を持て余しているとどうしてもだらけてしまうあたり、とても意識が低いですが…こればかりは長い時間をかけて形作られてきた性質なのでそう簡単には治りそうにありません。

そんなわけで、今日はずっとボーっとRSSなどを眺めていましたが、その中にまた面白い記事を見つけました。

・GIGAZINE:数学を学ぶには計算ドリルではなく「高度な数学」から学び始める方が効果的なわけとは?
http://gigazine.net/news/20140306-children-play-math/


この記事を読んで、私は最初はそんな方法が効果的であるわけがないと思いました。教育学的なタブー(であると私は勝手に考えています)であることを承知で、敢えて自らの経験に則して考えると、導入段階でいきなりレベルの高い問題を提示されようものなら、私ならば瞬く間に数学が嫌いになっていたでしょう。ただでさえ今でも数学に対してアレルギー反応が出そうな程に「数学嫌い」なのに、そんな教育を受けて成長していたら、私は数式を見ただけでアナフィラキシーショックを発症してしまう体質になってしまっていたかもしれませんね(もちろんそんな症例など過去をさかのぼってもあるわけがないでしょうが…)。

とても恥ずかしい話であまり明らかにしたくはないですが、私はこれまで数学という学問を一度たりとも満足に理解できたことがありません。私の記憶が正しければ、小学2年「さんすう」の段階で、私の数学的能力の発達にはすでに「遅滞」が見られていたのではないかとと思います。正式な検査は受けていないので憶測の域を出ませんが、こと数学という分野に関しては、私は間違いなく「アンダーアチーバー」だったと言えるでしょう。きっと「10歳の壁」も10歳児時点では越えていなかったと思います。

そんな私の経験を振り返って考えてみると、私は最初はそんな方法は効果的ではないのでは…と思いましたが、熟読してみるとまた少し考えが変わりました。すなわち、ここで「高度な数学」と呼ばれているものは「難しい数学」と同義ではないということに着目してみると、また違った見え方になりました。

ここでいう「高度な数学」とは、「物事の根底を支える概念として高度な数学的要素があるもの」であって、問題の難易度などは関係がないそうです。引用元のサイトでは、その「高度な数学」の例としてパズルやLEGOブロックを挙げています。つまり、パズルなどを用いた「遊び」を通じて「高度な数学」に触れさせることで、効果的に数学を学ぶことができるということだそうです。


引用元の文章を読む限り、この考え方はデューイの考えに似たようなものであると思いました。最近、随分前に読み始めて放置していたJ.Dewey,松野安男訳『民主主義と教育(上)』(1975年,岩波文庫)を読んでいるのでそう思えるだけかもしれませんが、この実際的な行為を通じて教育を行おうとする考えが、デューイの言う「経験主義」に近いように感じられました。

デューイは、『民主主義と教育(上)』第5章「準備、開発、形式陶冶」の中で、「滑車を引っ張る体操」と「ゲーム、スポーツ」という二つの例をもって「画一的な教育」と「一般的な教育」の差異を説明しています(Dewey,松野訳 1975 (上):111)。すなわち、デューイは「滑車を引っ張る体操」は、一定の動きを機械的に反復することに終始するために、その行為を通じて得た能力を実際に利用できる範囲は「限定的」になってしまう一方で、「ゲーム」や「スポーツ」といった行為は、「行動の焦点の不断の配置換えが行われ」(Dewey,松野訳 1975 (上):113)るという特性によって、被教育者に「対象の中に生じた変化に対応するために活動の焦点を移動させた新たな組み合わせを敏速に作ることの練習」(Dewey,松野訳 1975 (上):113)という行動を要求するため、その行為を通じて得る能力の利用範囲は前者よりも広くなると考えます。


今回取り上げた話も、これと類似の考え方であるように私には感じられました。つまり、数学的パズルやLEGOブロックを用いた「ゲーム」を通じて「数学的思考力(適切な語彙を思いつかないので、ここでは暫定的にそう呼称します)」という能力を身につけることで、その「数学的思考力」の利用範囲は大きく広がり、様々なものに応用可能な「一般的な」能力として形成される。ということだと思いました。ちなみに、私がここで用いている「一般的」という語はデューイが設定した「幅広く、柔軟だということ」(Dewey,松野訳 1975 (上):113)という定義に依拠しています。

これは、現代の教育現場でよく見られる段階的教授(ヘルバルト派による「五段階教授法」)的な考えとは真っ向から対立する考え方に思えました。「五段階教授法」に即して考えるならば、まずは基礎となる部分を形成する段階、すなわちラインが設定した「予備」の段階からはじめなければなりませんが、この方法ではその段階を経ることなく、高度な段階から学習を始めている点に特徴が見られると思いました。


・参考文献
Dewey,J『民主主義と教育(上)』(松野安男訳,岩波文庫,1975年).

2014年3月6日木曜日

「『○○』とは何か」。

こんばんは、武藤です。

今日も今日とてサークルの仕事に忙殺され、あまり自分の時間を確保できませんでした。「これで最後だから」と思いながら淡々と目の前にあるタスクを処理しているつもりですが、やはり根本的に「やりたくない」と思っているということもあって、思うように進みません。このままだと本当に一週間単位の時間を要しそうな勢いですが、根気強く続けていきたいと思います。




それはそうと、追い出しコンパ関係の仕事の一環として、先ほどこのようなアスキーアート(以下AA)を作成したのですが、発想が貧困な私にしてはいいアイデアを思いついたものだと思いました。
このAAは、卒業生に配布する小冊子の中の「歴史」という項目の表紙に利用するために作成しました。元はもっと違うことを言っているのですが、今回はこのキャラクターのフキダシ内を「『歴史』とは何か」を説明しているものに差し替えました。ちなみに、フキダシ内の説明はWikipediaの該当ページを切り貼りしたものです。


この作業をしていて、私はこういった「『○○』とは何か」という問いに答えるのは思いのほか難しいと改めて思いました。特に、この例のように包括的な概念に対してこの問いを立てると、簡単に答えることはとてもできなくなるような気がします。

もちろん、ただ答えるだけなら簡単でしょう。各々が思っていることを素朴に述べれば、その人なりの「定義」にはなると思います。この「歴史」を例に取ればわかりますが、「現在という一地点に至るまでにこの世界において積み重ねられてきたもの」といったように、今その場で「定義」らしきものを作ること自体は誰しも容易にできます。ちなみにこの定義も私が今とっさに考えたものです。
しかし、この定義は質的に不十分で、「本当に『普遍妥当性』を持つものであると言えるだろうか」という疑問が残ります。その意味で、この問いに対して「設定した定義に『普遍妥当性』を持たせること」という条件を付した場合、同様の方法を用いて定義付けができるかどうかについて考えると、それはとても難しいことであるように思います。

今は「歴史」を例に取りましたが、ここでいう「歴史」を「教育」と置き換えた場合にも同じことが言えそうです。

先の記事でこれと類似のことを述べたときに利用した『教育学 ヒューマニティーズ』(2009年,岩波書店)がまだ机上にあったので、再度広田照幸氏の文章を引用すると、教育という行為が持つ

「われわれはみな、生徒・学生として教育を受けてきた経験がある。だから、自分の経験を踏まえると、誰でも教育についてなにがしかの見解をしゃべることができるような気になることができる」 (広田 2009:1)

という性質のために、「『教育』とは何か」といった問いに対する妥当な定義を考えた場合、かなりの確率で「『教育とはかくあるべき』といった希望や願望」(広田 2009:6)がその定義の中に含まれている可能性があるように思います。すなわち、自らの経験に則して自らの見解を述べることができるからこそ、我々はしばしば、自らの経験の中にある問題点に対する改善点が含まれた定義を導いてしまうのではないでしょうか。

さらにここから、「教育」において「普遍妥当性を持つ」といえる定義とはどのようなものかという問いが生じることになりそうですが、それを考えることがすなわち「教育学」であるのではないかと私は思います。しかし、ここでさらに「普遍妥当性」とはどのようなものか、何をもって「普遍妥当性」というべきかという問いも生じることになり、そうなるといよいよもって私には「『教育』とは何か」という問いがわからなくなってきます…。
何かまとまりに欠けますが今回はこの辺で終わります。また読みなおして加筆修正が必要なところは随時追記していきます。


参考文献
・広田照幸(2009)『教育学 ヒューマニティーズ』(岩波書店).

2014年3月5日水曜日

「研究ノート」がなかなかいい感じ。

こんばんは、武藤です。

昨日から始めている「研究ノート」が、今のところなかなかいい感じの手応えです。どのように読書をすれば効果的なのかということについてはかねてから考えてきましたが、やはり、読んだ本の内容をしっかり身につけるには身体を動かす必要があるということを実感しました。

今までは気になったところや参考になった部分に付箋を貼ったりすることでなんとか記憶に留めようとしていましたが、付箋だけ貼ってあとはそのまま放置で忘れ去られていくという悪循環がよく起こっていました。結局、その時印象に残ったということだけを記録していても意味がなくて、それを何度も参照しなければ効果的とはいえないということだと思います。これはまた別個の例だと思いますが、反復することが重要だということはエビングハウスの「忘却曲線」理論でも明らかにされているところですね。

今日一日「研究ノート」を使ってみて感じたメリットの一つは、これが手元にあることで、その時印象的だった部分や参考になりそうな部分などをそのノートに書き込んで記録することができるという点でした。しかも書籍からの引用だけではなくて、自らの言葉によって内容を再構成する機会も「研究ノート」は与えてくれるので、自分が内容を理解しているかどうかがわかりやすくなったと思います。

さらに、色々な方のノートを参考にした結果、このノートは性質上「毎日開くもの」となったので、これが更に効果的に作用すると思います。毎日、一定のタイミングで復習ができるので、これまでのように一度得た知識を失ってしまう危険性がグッと下がったように思います。

とりあえず、今のところはこの形を維持しながらもう少し記録を続けていこうと思います。

2014年3月4日火曜日

「研究ノート」をつけてみよう。

こんばんは、武藤です。

一昨日から続けているサークル関係の仕事も、(私が役職の仕事として担当している分は)今日で概ね終わりました。今日は久しぶりに大学へ行き、完成したDVDを所定の棚に置き、昨日の内に選別しておいた夏合宿の記録写真を現像してきました。あとは明日以降にこれらをフォトアルバムに入れてDVDと同じ場所に置いてくれば夏合宿関連の作業は終わりです。

実際はもう少し現像しなければならない画像やDVD化しなければならない映像が残っていますが、残りの部分はもう来年度の「記録」さんに仕事ごと引き継いでしまおうかなと思っています。もちろん、私も別に可愛い後輩が困っている様が見たいわけではないので発行作業は私も手伝いますが、これからこの役職に就く後輩にはこの役職がどういったものかを早い段階で知ってもらいたいので、アドバイスをしながら後輩自身の手で発行作業をしてもらおうと思っています。「これはOJT(=On the Job Training)の一環だ!」とでも言えば聞こえは良さそうですが、実際は仕事を体裁良く押し付けているだけですね。しかし、前々から書いているように、私としてもこれ以上このサークルでワーカホリック化するつもりなど始めから全くないので、この度は無い知恵を絞ってこの場合の「最適解」はどのようなものか探ってみた次第です。


閑話休題…。長期休暇中は学生課が空き教室の使用時間を制限しているという都合もあり、今日のサークル活動は17時で打ち切りになりました。しかし、せっかく久しぶりに大学に来たのにこんな早い時間に部屋に戻るのもなんとなく気が引けたので、今日は久しぶりに大学の自習スペースを利用して勉強をしてきました。

ここだけの話、私の通っている大学はこの辺りの設備が貧弱です。図書館は早々と閉室してしまうし、図書館棟に設けてある自習スペースも設備的にはあまり良くありません。自習スペースの机などは、普通に字を書いているだけで隣の座席とこちらの座席を区切っているセパレータがギシギシと嫌な音を立てたりするのでここで自習する際はiPodなどのデジタルオーディオ類か耳栓が必須装備となっています。
いつもは学生の多い時間帯に入ろうものならこのギシギシ音ですぐに退室したくなってしまいますが、今日は長期休暇中ということもあり学生もほとんどいなかったので(それはそれで問題であるような気もしますが…)じっくり集中して取り組むことが出来ました。


ちなみに、実は今、私は友人の勧めもあり独学で英語を勉強しているのですが、数ヶ月前にその勉強を始めるにあたって、新しく大学ノートを5冊セットで買いました。

 


そして、今日、そのノートがまだ4冊ほど自室の机の上で未使用のまま放置してあることに気が付いてしまいました。これが何を意味するかは至って簡単です。ノートを買うだけ買って、実際はほとんど勉強していなかったということです。

さすがにこれでは良くないと思って、今日は英語の勉強を再開すべく大学の自習スペースに籠もってきたわけですが、今から再開したところでこれだけのノートを使いきるのにはまだまだ時間がかかりそうです。
別にそんなに急いで使いきろうと思わなくてもいいとは思いますが、貧乏性な私にとっては「使おうと思って買ったものが使われていない」というこの現状を見ると、非常にモヤモヤした気持ちになってしまいます。そして、なんとかしてこのノートを有効に使わねばと考えた結果、今日から「研究ノート」をつけることにしました。

むしろ、「大学生のクセに今まで研究ノートの一つもつけていなかったのか」と言われると返す言葉もありませんが…来年度からは私もいよいよ学部3年。大学生活も後半戦に差し掛かる直前にして、私の頭の中にもそろそろ「卒業論文」という四文字がちらつき始めてきたので、4年になって焦ることのないよう今のうちからしっかり考えて準備していこうと思い立った次第です。

とはいえ、今までやっていなかったことを急にやろうと思っても難しいものです。研究ノートなど今まで書いたこともないし他の人のノートを見せてもらったこともないので、あまりイメージが固まっていませんでした。とりあえず、自室に戻ってきてからすぐにインターネットの情報を頼りにしながら新しいノートにプロトタイプ的なテンプレートを作ってみましたが、今のところこの形でしっかりやっていけるかどうかはまだかなり不透明です。
一応、今日の分と明日の分の準備は済ませたので、あとは実際にやってみながら適宜修正などしていければいいなと思います。また、私の研究ノートの作成例などについては、現行の方法がそれなりに洗練されてきたなと思えるようになってから、改めてまとめていきたいと思います。

2014年3月3日月曜日

ジュンク堂書店吉祥寺店に行ってきました。

こんばんは、武藤です。

今日も昨日に引き続き、サークル関係の仕事をしています。
昨日の時点で大量の時間を要していたエンコード作業ですが、この作業を正攻法でゴリゴリと時間をかけて終わらせたので、これにてDVDの作成作業は概ね終了しました。正直なところ、エンコード作業それ自体は自動で進んでいくので、作業中は私の出る幕はありません。昨日はこのエンコードの手法を確立するまでの間PCに張り付いて挙動を確認していたためその場を離れることはできませんでしたが、方法が確立してしまった今日は、作業をPCにまかせて私は別のことをしていました。

喜ぶべきことだとは思いますが、大学に入学してからのこの2年間、私は長期休暇中に暇を持て余した経験があまりありません。長期休暇中でも、東京にいる間は大体何かしらの遊びの予定が定期的に入ったり、そういったものがない場合でもサークルの合宿に参加したりしていたので、予定に関しては事欠かない生活でした。
もっとも、来年度から「隠居」する身である私にとってはもうすでに合宿も縁遠いものになっているわけですが、それでも友人との「企画」は休暇中も定期的にあります。最近で言えば、2月19日の「慰安旅行企画会議 in新宿(含二次会)」や、2月28日の「東急世田谷線沿線散歩」などが、私が「企画」と呼んでいる会合ですが、これが新年度までにあと数回行われそうです。

しかし、こういった「リア充」的な生活を続けていると、どうしても「一人の時間」が欲しくなるのはきっと私だけではないと思います。やはり私も人間ですので、他人と長いこと顔を合わせているとイラッとすることもありますし、考えたくもないことを考えさせられることもあります。
そんなとき私はその場を離れて一人で行動したくなることがあり、イライラしていたり友達付き合いに嫌気が差したときなどは実際にそうしていることがあります。(昨年度の後期、メンタルヘルス的に最も危なかった時期にそれを実行して一人で講義を受けたりしていたら、お節介な友人が面白おかしく茶化してきたので、もう大学内ではなるべくそういった行動を取らないことにしました。来年度はもっと賢くストレス・コーピングをしていきたいと思います。)

そんな欲求がピークに達したので、今日はDVD作成をPCにお任せして一人で吉祥寺まで遊びに行ってきました。吉祥寺は私が今住んでいるところからも比較的手軽にアクセスできるので、「遊びには行きたいけど遊ぶ時間はそれほどない…」というときなどによく遊びに行っています。今日は、欲しい本が何冊かあったので「ジュンク堂書店 吉祥寺店」に行ってきました。

私は都内の大型書店ではジュンク堂書店が一番好きでよく通っているんですが、普段は池袋にある池袋本店ばかり利用しています。そのため吉祥寺店の方には数えるほどしか足を運んだことがなく、今日は物見遊山的な意味も込めて行ってみました。
しかし、なんというか…売り場面積がそれほど大きくないことも影響しているのか、池袋本店ほど居心地がいいとは思えませんでした。私も一応教育学を学ぶ者の端くれなので大型書店に行った際は教育学関連の書籍が並ぶ棚の前で長い時間を過ごしたりもしていますが、今回はそれほど読んでみたいと思った本に巡りあうことができず、すぐその場を離れてしまいました。たくさん本をおいてあればそれでいいというものではないでしょうが、吉祥寺店は特に教科教育に関するガイドブック的な書籍を重点的に揃えている印象で、学際的な文献などは非常に少ないという印象を受けました。そのため、現状としてあまりそういった分野に興味を見いだせていない私には、この売場はあまり魅力的には見えませんでした。

とりあえず、今日は前々から読みたいと思いつつもまだ読んでいなかった宮台真司『増補 サブカルチャー神話解体 ─少女・マンガ・音楽・性の変容の現在』(2007年,ちくま文庫)を買ってきました。

しかし、まだ手を付けていない本がたくさんあるので、読み始める前にまずはそれらを消化していく必要がありそうです。また暇を見つけて少しづつ読んでいこうと思います。

2014年3月2日日曜日

残った仕事を終わらせて、気分よくサークルを辞めよう。

こんばんは、武藤です。

今日は一日の大半を旧サークルでの残務処理に費やすことになってしまいました。今日一日を使ってずっと作業をしていましたが、未だに一朝一夕では終わらなさそうな量の仕事が残っています。おそらくいつものようにダラダラとやっていると、あと数日くらいは軽くかかってしまいそうです。

大半のサークルがそうであるように、私が今年度まで所属していた某ボランティア団体にも「役職」というものがあります。今では世代交代も完了し、私の同期生たちがさまざまな要職に就き、来年度に向けての体制が確立しましたが、聞くところによると、来年度もまた人数不足から役職を兼任するサークル員が多数出たそうで、サークル運営は今年度よりもさらに厳しくなりそうです。しかし、その点はきっと次期チーフが上手いことやってくれることでしょう。それはもはや私の関知するところではありません。そもそもこの次期チーフが気に入らないことがこのサークルを辞める一つのきっかけになったわけだし…

そんなこんなで、来年度から私は「役職なし」の幽霊部員になるわけですが、それでも今年度まではしっかりと役職に就いていて、その仕事を完了させないことにはおちおち「幽霊化」できそうもないので、まとまった時間の取れるこの時期に一気に終わらせてしまおうと考えました。

ちなみに、今年度私は一般的に「副チーフ」と呼ばれるそこそこ重要なポジションにいました。主な仕事は新入生・2年生の連携強化および活動呼びかけや、サークル運営上の方針決定に関するアドバイスなど多岐にわたる…ように見えますが、実際は副チーフとしての仕事などほとんどありませんでした。その辺に関して文句がないわけではないですが、もはや過ぎたことなので敢えて多くは語りません。それよりも私の主な仕事といえば、「記録」という役職に関するものが多かったように思います。

この役職は、主にサークルで所有している撮影機材の管理と、撮影したもの(静止画・動画)をすぐにアクセスできる媒体にしてサークル員に共有するために設けられているもので、私は今年度は先述の「副チーフ」と「記録」という役職を兼任していました。こちらの仕事は特性上、何かしらの行事がある度に仕事が増えてくるので、ちょっと放置しているとすぐ仕事が溜まります。そして、その仕事を今年度の後期から丸投げし続けていた結果、今になってこのような惨状を招いている…というわけです。

率直に言わせていただきますと、この程度の残務処理にまさかこれほど時間がかかるとは夢にも思っていませんでした…。今日は主に夏合宿でのボランティアの内容を記録した動画ファイルをDVDにする作業をしていましたが、これがなかなかにクセモノで、昼過ぎから作業を始めているのにも関わらず未だ終わりが見えません。

私はただの文系学生なので、PCの技術に関してはそれほど自信がありません。もちろん、これまでインターネットというものに親しんでいた経験から、ブログサービスの使い方やオンラインゲームなどの操作方法などといった、「オタク」的な技術ならば多少は持っていますが、今回の仕事に関して言えばそれらのスキルは全くもって使い物になりません。そのためまずは仕事をするためのスキルを学ぶところから始めなければならず、そのせいで余計に時間がかかっています。

今は一応、おおまかなプロセスを理解して実際にアプリケーションを動かしているところですが、これにまた非常に長い時間がかかっていて作業が思うように進みません。



こんな感じで、いわゆる「エンコード」と呼ばれる作業と、エンコードされた動画ファイルをDVDプレイヤーで再生可能な形式(.isoファイル)に変換してDVDに記録する作業を同時に行っていますが、画像を見るとわかりますように、このエンコードという作業に非常に多くの時間がかかっていて、全く効率的とはいえません。

しかし、いくら非効率的とはいえ、ここまでの作業の結果、時間さえかければできることは間違いなさそうなので、あとはPCと私の根比べとなりそうです。一応、今使っているPCはそこそこの性能があるので、今使っているこのメイン機には、久しぶりに思いっきり働いてもらうことにします。

願わくば、 明日はなるべく早くDVDの作成作業を終わらせて、景気良く遊びに出たいものですね。今は二冊ほど欲しい本があるので、明日は久しぶりに一人だけで悠々と書店を巡りたいです。

2014年3月1日土曜日

大学生にとって「読書」は必要か。

こんばんは、武藤です。

私は、「gReader」というRSSリーダを利用して主にネット上での最新ニュースを収集しているのですが、最近、大型匿名掲示板「2ちゃんねる」では「大学生の読書」に関する話題がホットなようです。私が購読しているRSSの多くはいわゆる「まとめブログ」で、2ちゃんねるの話題などを大まかに網羅してあるので、(情報の真偽についてはほとんど信用していませんが)話題のトピックを知るために積極的に利用しています。

・VIPPERな俺:大学生の4割が読書時間「ゼロ」 平均26.9分wwww 本読まないで大学生とか無理だろ
http://blog.livedoor.jp/news23vip/archives/4632351.html

・ライフハックちゃんねる弐式:本を読まなくなった「大学生」は批判されるべきか?
http://lifehack2ch.livedoor.biz/archives/51492285.html


このように、ここ数日の間に、類似の記事が立て続けに公開されていました。特に「VIPPERな俺」にまとめられていた記事は、なかなか衝撃的な見出しから始まっていて深く印象に残りました。

私自身、それほど読書をしている方ではありませんが、 4割の大学生が読書を「全くしない」と回答したということに非常に驚きました。確かに、私の周りの友人達を見ても、日常的に読書をしていそうに見える者はほとんどいませんが…それはいわゆる「類友」的な何かの影響だと思っていましたし、他の大学の学生はみんな日常的に読書をしていると勝手に思っていました。

また、特性上、一定の思想に基いた(「偏った」と言い換えても良いでしょう)編集がなされる(そのため、まとめブログという媒体は信用性に欠けると私は思います)まとめブログですが、「ライフハックちゃんねる弐式」のまとめを見る限り、「情報資源としての有用性/利便性」という観点に基いた議論が中心を占めているように思いました。具体的には、「あらゆる情報に素早くアクセスできるインターネット上の情報のほうが便利である」派と「インターネット上にある情報だけでは不十分なため、書籍という媒体にある情報にもアクセスする必要がある」派が意見を交換しているように見えました。

私個人としては後者の意見に賛成ですが、私自身が情報技術の発達による恩恵を受けている部分が少なからずあることは否めません。CiNii Article(http://ci.nii.ac.jp/)などのデータベースがその例として挙げられると思います。特定のテーマについて自ら先行研究などを調べて発表するような授業もここまでいくつか履修しましたが、そういった授業においてはCiNii Articleにある先行研究などが非常に便利だったことが今でも印象に残っています。
勿論、その手の先行研究は本来的には紙媒体で存在するものなので、実際に紀要なり機関誌なりを参照することでも利用できますが…やはり欲しい情報へアクセスする「速さ」は、オンラインのデータベースのほうに軍配が上がるように思いました。

とはいえ、それ以外の情報についてはどうかといえば、全てが全て「信用できる」ものではないとも思います。もちろん、その点に関しては書籍などの媒体でも同様のことが言えそうですが、オンライン上の情報に関しては「誰でもアクセスでき、誰でも情報を発信できる」という特性にそのデメリットを見出すことができると思います。このブログもそうですが、インターネットという媒体の特徴の一つは、その気になれば私のような「素人」であっても一定の情報を発信することができる点にあります。そのような「素人」が発信する情報の中には、必ずしも十分に有用性・正当性を備えているとは言いがたいものも一定数存在すると思います。

特に教育学という分野は、広田照幸氏が『教育学 ヒューマニティーズ』(2009年,岩波書店)という本で最初に述べているように

「われわれはみな、生徒・学生として教育を受けてきた経験がある。だから、自分の経験を踏まえると、誰でも教育についてなにがしかの見解をしゃべることができるような気になることができる」 (広田 2009:1)

という特徴があるので、こと教育学に関するインターネット上の情報については、「素人」の発信している情報ほど「アヤシい」気さえしてきます…。そういった「真偽の定かでない情報」を鵜呑みにして「知ったつもり」になることは、とても危険なことであるように私には思えます。これがいわゆる「ネットde真実」というものでしょうか。

もちろん、先に述べているように、書籍に記録されている情報が必ずしも有用であるという保証も同様にないと思います。いわゆる「悪書」などはこの世の中には掃いて捨てるほどあるでしょうし、「良書」とされているものが必ずしも絶対的に「正しい」情報を提示してくれているわけでもないでしょう。
結局のところ、そういった情報を取捨選択し、各自が必要とする情報を選び取っていくスキル、すなわち「メディアリテラシー」が必要であるということはどちらの媒体を参照する場合でも同じことだと思いますが、個人的には、この能力自体はインターネット上の情報を参照する際に特に重要になってくると思います。

以上のようなことから、私はインターネット上にある情報のだけではなく書籍などの媒体から得る情報も必要で、その意味で、大学生にとって読書という行為は絶対に欠くことのできない営みであると考えます。

しかしながら、別に読書をする動機そのものは、そう固く考える必要もないのかなとも思います。実際、竹内洋氏によると、かつての旧帝国大学の学生ですら、「定番の書物は読んでいなければならない」(竹内 2003:66)という考えを持っていたそうですし、読書をする動機については、案外不純なものでいいんじゃないかと思います。多分、当時の学生たちの中には「せめてこのくらい読んでおかないとカッコ悪いよなー…」くらいの気持ちで読書をしていた層だっているのではないでしょうか。もちろん、今それを明らかにすることはできませんが…。

何か論点がズレてしまったようにも思いますが、とりあえず現状、私はこんな風に考えています。他に何か加筆修正すべき内容を思い出したら、また随時更新していきます。


参考文献
・竹内洋(2003)『教養主義の没落 変わりゆくエリート学生文化』(中公新書).
・広田照幸(2009)『教育学 ヒューマニティーズ』(岩波書店).