2014年2月28日金曜日

お散歩をしてきました。

こんばんは、武藤です。

ここ数日、また友人との遊びなどにまとまった時間を費やしていて更新が滞りました。
一昨日の午後に、友人と「東急世田谷線沿線散歩」と題した企画をし、三軒茶屋駅から下高井戸駅方面に向かって、特に何をするでもなく、4時間半ほど遊び歩きました。

Wikipediaによると、下高井戸駅~三軒茶屋駅の直線距離は約5km。普通に歩けばこれほどの時間はかからないですが、ただ歩くだけも面白くないと、小道に入って迷ってみたり、目についた古道具屋に入ってみたり、道中にある松陰神社で小一時間学生らしいとりとめのないお願いごとをしてみたりと、なかなか充実した旅になりました。私は特にこれといって鉄道が好きだというわけではないですが、このあたりの路線は普段の通学では使わず縁がない路線なので、とても新鮮な気持ちで楽しめました。


その後は、いつもの様に私の部屋に集まり2次会の流れに。先日の更新で部屋の掃除をしたことを書きましたが、掃除の理由の一つはこれにありました。「お前らどうせ俺の部屋に集まるんだろう」という予想は安易に出来たので、先回りして徹底的に掃除しておいた次第です。



2次会では、久しぶりにたこ焼きを焼きました。しかし、思ったより材料を買い込み過ぎて、大量のたこ焼きができてしまい、友人が帰ってからも余った食材をひとり黙々と消費して、原状復帰を果たしたのがつい先程の事でした。正直、もうしばらくたこ焼きは見たくないです。


しかし、今回買ったワインが思いの外美味しかったのが収穫ですね。普段あまりワインなどは飲まない(買えるだけのお金がない)ので、大事に味わいつつ楽しみたいと思います。

2014年2月25日火曜日

「『読書嫌い』のための読書術」があればいいのに。

こんばんは、武藤です。

今日は久しぶりに部屋の掃除をしました。思えば後期末のレポート地獄のさなかに「気分転換」と称した大掃除をして以来、帰省などを挟んで長らくしていなかったなと反省。

本棚の外に置きっぱなしだった本をしまい、今年度の授業で使用した教科書でもう読み終わったものや使わなくなったものは段ボールに入れてベッドの下に入れ、本棚周りも随分すっきりしました。

あまり知性の感じられない本棚ですが、そこはご愛嬌ということでどうか一つ…。整理整頓したら思いの外スッキリしてしまって少しさみしくもあります。
とりあえず、今日は本棚と水回りを全力で掃除して力尽きたので、明後日以降にこの本棚の中をもう少ししっかり整頓したいと思います。現状、読み終わったけどまだ参照する可能性のあるものと未読のものとが入り交じっているのでそのあたりをしっかり分けておきたいと思います。


それはさておき、最近あまり読書が捗りません。いやむしろ私の場合は捗っていないことのほうが多いですが、ここ最近は精彩を欠いている感が否めないです。なんというか、活字を目で追っているだけというか、そんな感じです。
そう思って、随分前に読了して本棚の肥やしになっていた永江朗『不良のための読書術』(ちくま文庫,2000年)を引っ張りだしてパラパラと読んでいましたが…なんだか余計にわからなくなりました。

永江氏は面白い本に出会うために「不良」になって、「不良」的に読書をしていく必要性を説いていますが、この「不良」がどうにも私には馴染みづらいものがあり、どうしたものかと頭を抱えてしまいます。
永江氏は『不良のための読書術』の中で、「ゴダール式読書法」というものを提案していますが、それにしたって、「この本面白くないなー。じゃあ50ページだけ読んでハイ終わり。」というのはなかなか貧乏学生には難しいことだなぁと思ったりします。もちろん金銭面でもそうですし、私の場合は特に読書の「目的」がある意味ではっきりしているからこそ、どうしても読みきってしまいたい。でも面白く無いから進まない…そんな感じです。

プロフィール欄にも書いているように、私は元々さほど「読書好き」というわけでもなくて、読書する「目的」はなにかと聞かれれば「教養のため」としか言えないのですが、この「不良」的な読書術はそういった目的で読書をする人たちには向いていないように感じられました。
特に「本を閉じてから大切なこと」(pp.234-258.)という章で書かれていることの多くは、やっぱりあまり同意できません。それは多分、私の本を読む目的が永江氏の考える目的と合致しないからだと思います。まぁ、こういった「『マジメなよいこ』的読書ではいけない!」というのがこの本の主旨なんだと思うんですが、私はどうにもその内容にあまり馴染むことができませんでした。というだけの話でした。


参考文献
・永江朗(2000)『不良のための読書術』(ちくま文庫).

2014年2月24日月曜日

アイヒマンの気持ちになるですよ。

タイトルは、とあるソーシャルゲームに登場するキャラクターのセリフを改変したものです。ソーシャルゲームは息抜き程度の軽い気持ちでできるので、最近は友人たちと一緒にのんびり遊んでいます。ただこのゲームは「遊びじゃない」人たちがたくさんいて、軽い気持ちで始めて「遊びじゃなくなってしまう」人が続出することでも有名なので、個人的にはあまりオススメはしないです。節度を守って割りきって遊べる人じゃないと困った事態を引き起こすことにつながります。ちなみに私はこのキャラクターがそれなりに「お気に入り」です。

こんばんは、武藤です。

昨日はある場所で実用英語技能検定(通称:英検)の試験監督のアルバイトをしていました。
日当は内緒ですが多くもなく少なくもないほどほどの報酬がもらえるので、現在絶賛貧乏生活中の私にとっては貴重な収入源です。

ここだけの話、私は大学生活でほとんど「アルバイト」というものをしたことがありません。一応、某個別指導塾で時間講師として働いていた時期はありますが、およそ塾講師とは思えない労働と終わらない研修、給料もいつまでたっても支払われないなど、たくさんの問題に悩まされてすぐにやめてしまいました。そろそろ大学受験も終わりに近づき、来年度から大学生となる方も多いと思うので言わせてもらいますが、塾講師という職業ははっきり言って「儲かりません」。時給の額面の高さに惑わされないでください。
もう一度繰り返します。塾講師は「儲かりません」。間違っても学生のする仕事ではありません。もっと真っ当な環境で真っ当に稼げて真っ当な経験ができるアルバイトは星の数ほどあると思います。自らの大学生活の大半を仕事に捧げたいとお考えなら話は別ですが、少しでも大学で「学びたい」と思うのであればするべきではない職業だと思います。

それはさておき、試験監督の仕事ですが、今回はいつもと違う業務を任されました。いつもは試験会場で注意事項を説明したり不正行為が行われていないか監視する仕事をしますが、今回は受検生控室から試験会場までの誘導の担当でした。

大まかな業務は、面接室前で待機している受験生の数を確認、少なくなってきたら控室で待機している受検生を呼び、会場まで案内して適宜面接室に振り分けていくというもの。慣れてくるとわりと片手間ででき、「どこにどう受験生を振り分ければ効率的か/どう振り分ければ受検生の待ち時間が少なくなるか」を考えながら淡々と受検生を振り分けていくその姿は、不適切かもしれませんがまさしくアドルフ・アイヒマンのようでした。

アドルフ・アイヒマンといえば、アメリカの哲学者ハンナ・アーレントが「凡庸な悪」と表現したことでも有名な「小役人」の代表的存在ですね。「悪の権化」という言葉に代表されるように、人々は今まで悪人は絶大なカリスマ性をもった絶対的な存在だと考えていたのに、多くのユダヤ人を実質的に「殺した」アドルフ・アイヒマンという男の裁判を見ている限り、その法廷にいたのは、そのような「悪の権化」ではなくどこにでもいる「普通の役人」だった…、と言うのは有名な話ですね。

だからなんだと言うわけではないですが、そのとき私は「今の俺ってすごく『アイヒマン的』だなー」などと考えながら仕事をしていました。一緒に仕事をしていた某大学の学生さんも言っていましたが、おもしろいことに、仕事になれるとびっくりするほど「何も考えなくても良い」んですよ。試験会場と控室の間を往復するのでそれなりに動いたりしますが、だんだんこなれてくると本当にただの「受検生を誘導するマシーン」になれます。お世辞にも仕事ができるとは言いがたいこの私ですら、仕事中はずっと「終わってから何しようかなー」などと考える余裕があったほどです。

ちなみに、ハンナ・アーレントの思想に関しては仲正昌樹『今こそアーレントを読み直す』(講談社現代新書,2009年)が入門テキストになると思います。先のアイヒマン裁判の話などは政治的に非常にデリケートな問題だと思うのでこれ以上深入りすることは避けますが、この本は個人的には読みやすかったのでオススメです。私ももっと深く学んでみたいと考えているので、他にもっといい入門書などをご存知の方がいましたら是非ご教授くだされば幸いです。

2014年2月22日土曜日

「教育哲学」は難しい。

こんばんは、武藤です。

今日は久しぶりの全休でした。ここ数日は「大学生」的オーバーワークの連続で疲れていたので、ゆっくりと休息をとって体調を整えました。

一応、申し訳程度に豊泉清浩著『ヤスパース教育哲学序説 ボルノーからヤスパースへ:自己生成論の可能性』(2001年,川島書店)を読み進めましたが、やはりというか当然というか、理解度はそれほど良くありません。

今のところは「第1章 ボルノーの教育学の立場」まで読みましたが、「哲学的人間学」の教育学的位置づけについてほんの少し理解できたかどうか…というレベルです。
ちょっとこのままでは埒が明かないので、また明日からはこの本と平行する形で別な本を読んでみることにします。

実は、今回、このように様々な分野の文献を横断的に借りてきたのには、来年度あたりから自主的に考えていこうと思っている卒論のテーマについて、おおまかな設計図を今のうちから考えておくというねらいがありました。一応の考えとして、前々から漠然と高等教育に関するテーマを設定したいとは考えていましたが、その「高等教育」というテーマについて、「どのような方面からのアプローチを試みるのか」ということについて、まだ私自身のなかで明確化されていないのが現状です。

例えば高等教育に関するこれまでの諸理論について、教育思想の上から明らかにするならば、そのアプローチ方法は「教育哲学」的な捉え方だと思いますし、現代の高等教育機関に見られる「教育病理」的なものを解決するための方策について考えようと思えば、それは「教育社会学」的な捉え方になると思うんですよね。見ての通り、一介の学部生の考えなので正確ではないとは思いますが、これから卒論という集大成的なものに取り組んでいくためには、この点に関しては早いうちから決めていかなければならないなと、勝手ながら考えています。

このような問題をなるべく早期に解決するために、この春休みを通じて、様々な分野の文献を読み進められればいいなと思います。明日はちょっとした単発の仕事があるので読書をする時間はあまりとれなさそうですが、移動時間など暇を見つけて何かしらの文献を読み進めたいと思います。

2014年2月21日金曜日

48時間、戦えますか。

ブログタイトルは、あの有名な栄養ドリンク剤のコピーのパロディです。

こんばんは、武藤です。

ここ数日、少し投稿が滞っていましたがなんとか生きています。
この数日間の生活については、実に「大学生」らしい、そんな数日間でした。と、若干の皮肉を込めて総括したいと思います。

ブログにも書いた通り、2月18日は、サークルの4年生を送る飲み会を開催しました。「開催しました」と書くのには理由がありまして、実はこの飲み会をセッティングしたのは他でもない私でした。
この、いわゆる「幹事」という仕事を任されたのはこれが初めてのことですが、要所要所で「ポンコツ」っぷりを発揮しながらも、なんとかつつがなく終えることができたと思います。

また、出席された教授陣からもいろいろとお話を聴くことができたことは、私にとって非常に価値あることでした。様々な観点から考えても、この点について私から話せることはあまりありませんが、非常に貴重な体験をさせていただくことができました。

飲み会の後は、サークルでは恒例となっている二次会にそのまま参加してきました。
会場は大学近くのカラオケで、毎回二次会は徹夜でカラオケをすることになっています。お世辞にも歌唱力が高いとは言いがたい私ですが、カラオケで歌うことそれ自体は好きな方なので、ほどほどに空気を読みつつ翌朝まで歌い続けました。
さすがに疲れきっていたので、解散してすぐに人もまばらな早朝の電車に乗って部屋に戻り、一時の休息を取りました。

本来であればここで泥のように眠り、深夜遅くに起きだしてくるのがいつもの私ですが、この日はそうも言っていられない事情がありました。実は、その日(2月19日)は友人と会って、この春休みの予定などを決めようと前々から決めていました。

カラオケを終えて部屋についたのが早朝7時15分。集合は13時に新宿駅。準備や移動を考慮すると正味4時間程度しか休めません。正直時間通りに起きれる自信はありませんでしたが、予め頼んでおいた友人のモーニングコールなどのおかげで何とか集合時間には間に合いました。

その後、この春休みの旅行や企画の予定も無事決まり、ようやく解散かと思いきや、なぜか今度は友人宅で二次会的な焼き肉パーティーが深夜からスタート。


タイムセールで安くなっていた牛肉を1.5kgほど買い込み、男子大学生4人が狂ったように肉を焼き続けるという、「いかにも」な宴が深夜4時頃まで続きました。我ながらよく頑張ったと思います。

その後は10時頃に目覚め、雪解け水で最高にぬかるんだグラウンドでキャッチボールを少ししてから解散となりました。解散後、死んだように眠ったことは今更言うまでもないことかもしれませんね。


以上、そんな感じの数日間の生活でした。今日は毎週金曜日に行っている定例的なボランティア活動の直前まで寝ていて無事遅刻するというハプニングがあった程度でそれほどおもしろいことはなかったので割愛します。

この数日間、勉強らしい勉強もしていなければ読書もしていないので、明日あたりからまた少しづつやっていければいいなと思います。




明日からは、春休みが始まる直前に借りてきた本を読み進めていこうと思います。

今回の長期貸出しでは
・カール・ヤスパース著,福井一光訳『大学の理念』(1999年,理想社)
・M・トロウ著,喜多村和之訳『高度情報社会の大学 マスからユニバーサルへ』(2000年,玉川大学出版部)
・ホセ・オルテガ・イ・ガセット著,井上正訳『大学の使命』(1996年,玉川大学出版部)
・豊泉清浩著『ヤスパース教育哲学序説 ボルノーからヤスパースへ:自己生成論の可能性』(2001年,川島書店)
・ピエール・ブルデュー著,石崎春己・東松秀雄訳『ホモ・アカデミクス』(1997年,藤原書店)

の5冊を借りてきましたが、自己の不勉強も重なって、理解度・ペースともにあまり芳しいとは言えない状況です。
一応、『大学の理念』は後期の間に読破して、春休みが始まる前に『高度情報社会の大学』も半分ほど読了していましたが、 続く『ヤスパース教育哲学序説』であえなく撃沈、布団へ倒れこんでからは長らく置物となっていました。

とりあえず、明日からは『ヤスパース教育哲学序説』を読み進めることにしますが、どれほど読めてどれほど理解できるかは定かではありません。できるだけのことを頑張ります。

2014年2月17日月曜日

「サークル活動」について思うこと。

こんばんは、武藤です。

結局今日は一日の大半を移動に費やしました。そういえば、ここまでの投稿で明言していなかったことですが、私の出身地は北海道です。今日の北海道は午後からの猛吹雪で各交通機関に乱れがありました。もちろん今日私が乗ってきた飛行機も例外ではなく、滑走路を前にして1時間程度、離陸許可が出るまで待機していた結果、予定よりも遅い時間に東京に到着することとなりました。
代わりというわけではないですが、キャンセルによる空席ができ、ちょっと安いプランで飛ぶことができて移動費の節約につながったので、遅れに関してはもう気にしないことにします。

ただ、上空の気流も相当に乱れていたようで、機内でもらったコーヒーが読んでいた本にこぼれないように神経を使いすぎたせいで思ったよりも読書がはかどりませんでした。飛行機でiPod Classicで音楽を聴きながら読書をするといつもより読書がはかどるということに気づいて以来、飛行機での移動が楽しくなりましたが、今回はなんとなく消化不良な感は否めません。

一応、先日から読んでいる『グローバリゼーション、社会変動と大学』も機内でいくらか読み進めることができました。また、今日は空港までの電車内で苅谷剛彦『教育改革の幻想』(ちくま新書,2002年)も少し読み進めました。やはりハードカバーは取り回しが悪く、あまり移動中に読むのには適さないので、私はこういった新書やソフトカバーの本を常に1冊以上入れておくようにしています。まぁ、それは裏を返せば、未だに新書の中でも未読の文献があるということとほぼ同義なのですが…。1年の後期に他学部の教授に「入門書・新書は2年までに必要な分を読み終えなさい。」とのお言葉を頂きましたが、私にはどうにも耳の痛い話です。とりあえず一つの節目となるであろう卒論執筆に向けて、今から遅れを取り戻せるように頑張らなければならないですね。
今部屋の本棚を見てみたところ、購入したのにまだ手が付けられていない新書が4冊も出てきたので、これらも春休みの内に消化していくことができればいいなと思います。あれ、春休みなのに全然休めてないぞ。どうなってんだ。


「遅れ」と言えば…あまり自分の怠惰を人のせいにしてはいけないと思いますが、こうして今のような状況を招いている要因の一つは、間違いなくサークル活動だったと思います。
私は入学してすぐ、いわゆる「新歓コンパ」で言葉巧みに誘われて、あるボランティアサークルに入会しました。機密事項も幾つかあり、あまり多くのことは語れませんが、そのサークルは子どもを対象とした様々なボランティアを行っています。夏には地方まで遠征してサークル員が主体的にボランティアを企画実行したり、日常的にもボランティア活動をしたりしているなかなか真っ当な団体です。
昔から内向的であまり人と接することが得意ではない私でしたが、当時は教員を志望していたこともあり、(半ば実績欲しさに)積極的にボランティア活動に参加していました。その結果、いつの間にか毎週木曜日は「ボランティアの日」になるくらいの活動頻度になっていました。当時、「人数不足問題」が深刻化の様相を呈し始めていたサークル内で、私はコンスタントに活動をすることができる貴重な「スーパーサブ」的ポジションとして重宝されていたと自負しています。

そんなこんなで、大学生活の多くをボランティアに費やす日々がここまで2年間続いたのですが、その副作用として、現状の「遅れ」がもたらされたのかなと考えると、今になって若干の後悔を感じずにはいられません。実際、ボランティアはやっていて楽しいものではあるのですが、しばしば学生の身分には分不相応な要求を伴うものであったり、種類次第では数日間にわたって拘束されるものや多額の費用がかかるものもあったりなど、必ずしも楽しかったとは言い難い活動もいくつかありました。
「それだけの苦労を強いられて、果たして得るものはどれだけあっただろうか…」と思い、いろいろ考えた結果、今年度いっぱいでこのサークルを退会することにしました。同期のサークル員との不仲や先に挙げた人数不足による存続そのものの危機など、他の理由も多々ありますが、やはりこれが一番大きな理由です。

要するに武藤は…

武藤「これ以上このサークルにいたら、このサークルと一緒に自分まで共倒れしてしまう!来年サークルを運営していく同期の連中も気に入らねーし、こんな潰れかけのサークルにいつまでも付き合ってられるか!俺は降りさせてもらうぜ!」

と結論づけたわけです。なんというか…今すぐにでも密室空間で謎の変死を遂げそうな残念な口上になってしまいました。(参考:「かまいたちの夜」)

ともあれ、来年度からはもっと自分に必要な研究をしっかり行っていきたいと思ったので、この度、当時何かと便宜を図っていただいていた別なサークルへ移籍する運びとなりました。移籍先のサークルは、サークル内で決めた文献をみんなで議論を交えながら読み進めていく、いわゆる「読書会」のような活動をしているサークルです。かねてから上記のような「遅れ」を薄々気にしていた私にとってはちょうどうってつけの団体だったので、今年度の後期あたりから部外者の身ながら活動に参加させて頂いていましたが、来年度より正式にこのサークルの会員の一人になります。
(ちなみに、明日行われる飲み会はこのサークルの4年生を送る飲み会(通称:追いコン)です。このサークルで長い間活動していた先輩方はきっと多くの知識をお持ちだと思うので、色々ためになるお話が聴けることを密かに期待しています。)

しかし、このようにいくつかのサークルを渡り歩いてみて、改めてサークル活動は「程々に」するべきだということを再確認しました。研究に差し障るからといって何もしないのも(主に世間体として)いけないとは思いますが、学生生活を顧みずワーカホリックよろしく熱中しすぎるのは、いずれ自分の身を滅ぼすことにつながるんだなということを学びました。

この反省を踏まえて、来年度からは節度を保ったサークル活動をしながら、この2年間の「遅れ」を少しでも取り戻せるように頑張っていきたいと思います。

2014年2月16日日曜日

読書感想文のようなものと「今年度最も印象的だった授業」の話。

こんばんは、武藤です。

明日の夕方の飛行機で東京に戻ります。次に帰省するのは3月中旬頃です。
実家ではいろいろと誘惑が多すぎてあまり読書がはかどらないので、東京にいる間になるべく多くの本を読むようにしたいですね。とはいえ、帰京してすぐに教授との飲み会や友人たちとの旅行などがあり、どこまで読み進められるのかは定かではありませんが…。暇を見つけて少しずつ読んでいくようにします。

さて、昨日の記事でも書いたとおり、今日から広田照幸・吉田文他編著『グローバリゼーション、社会変動と大学』(岩波書店,2012年)を読み進めています。不勉強ゆえの遅読が災いしてまだ読了には至っていませんが、現段階でひとまず吉田文「グローバリゼーションと大学」まで読み終わりました。

この文章の中で印象的だったのは、現代の大学を「商品」として見る視点でした。例えばオーストラリアとアラブ首長国連邦の間では、オーストラリアの先端的な大学教育を導入して「Knowledge Village」を構築したいアラブ首長国連邦と、産業としての大学を輸出したいオーストラリアの思惑が一致して、いわゆるwin-winの関係を形成することが出来た一方で、IMF(国際通貨基金)とラテンアメリカ諸国の関係はあまり健全な状態であるとは言えない状態だったことが述べられていました。

また、大学という教育産業の例として、アメリカにおける「フェニックス大学」と「ウベルニシタス21グローバル」 という2つの教育機関が紹介されていました。特に興味深かったのはフェニックス大学の教育システムでした。
吉田文氏によると、フェニックス大学の授業は高度にマニュアル化されており、教員はそのマニュアルに沿った授業を展開すればよいことになっているそうです。そのため常勤である必要がなく、全教員の90%以上が非常勤であるということでした。また授業は主に夜間に行われ、学生はアメリカ全土に200あるキャンパスで授業を受けられる点が特徴的でした。このような形態からフェニックス大学は「マック大学」と揶揄されているそうですが、その一方で「マクドナルド化」しているがゆえに、教育水準が一定レベルで保証されているという点に利点があると述べられていました。

「講義内容のマニュアル化」といえば…そういえば今年度の後期に履修したある講義が「悪い意味で」マニュアル化していたなとこの部分を読みながら思い返しました。その授業は基本的な講義形式のものでしたが、その内容が担当の教授の書いた教科書に基づいて構成されているもので、教授が話していることの大半は教科書の該当ページを参照していればわかるという、イマドキの大学では珍しい授業でした。
個人的にはこのような形式の講義には、昭和の大学のようなセピア色な風景を見出さずにはいられませんでした。大講堂みたいな教室に何百人もの学生が集まって、教壇で教授が用意したノートを読み上げ、学生はそれを一心不乱にノートに書き取る…といったような、そんなイメージです。上記の表現はかなり失礼だったかも知れませんが、なにせ私はその時代を「知らない」世代なので、当時の大学教育を連想せよと言われてもこんな感じの荒唐無稽な風景しか描けません。

しかし、その詳細は知らずとも、最近は文部科学省が大学生の勉強離れを憂いて万策を尽くしているということくらいは、その辺のしがない一学部生である私ですら知っていることです。その一連の施策の中で授業の内容などについての指示はなかったのか、はたまたあの教授が頑なに文部科学省の指示を無視し続けていたのか…。真相は闇の中ですが、ともかく大学に入学してあのような形式の講義を受けたのは初めてだったので、むしろ新鮮な気持ちで講義を受けることができました。
ただ、その教授が他の講義でも同様の手法で授業を進めているならば、その教授の授業を来年度以降に履修することをちょっと考えたいですね…。今回は初めて体感する講義だったが故に逆に新鮮さを感じることが出来ましたが、二度目以降は間違いなく「退屈」との戦いになりそうです。

そんなことを考えながら読み進めました。他にも重要な点は幾つもありましたが、それらについては機会があったら後日また書きたいと思います。
とりあえず、今日のところはこの辺で失礼します。


参考文献
・吉田文(2012)「1 グローバリゼーションと大学」広田照幸・吉田文他編著『グローバリゼーション、社会変動と大学』(岩波書店)pp.15-42.

2014年2月15日土曜日

自堕落な生活をやめよう。

こんばんは、武藤です。

この春休みは2月上旬頃から実家に帰省しています。本当は大学(主にサークル)関連での雑事がいろいろ残っていましたが、友人の結婚式など大事な用事が地元で開かれるということもあり、そういった仕事などは全部丸投げして帰ってきました。
おそらくサークルの方では今頃、いわゆる「世代交代」の時期で大変なことになっていることでしょう。まぁ、私にはもうあまり関係のないことですが…。(この辺りの確執については機会があれば書いていくことにします)

とはいえ、せっかく自由に使える時間が大量にあるのにもかかわらず、 地元ではついつい遊んでしまってしまい、あまり有意義な生活を送れないまま、そろそろ帰京の日が近づいてしまいました。
一応、長期休暇に入る前には大学図書館から何冊か本を長期貸出制度を利用して借りてくるのですが、今のところ長期休暇中に借りた本すべてを読み終えることは出来ていません。それどころか、今回に関しては先の結婚式や旧友との交流などに時間を割いてしまい、今までで1冊もまともに読めていないのが現状です。

さすがに非常に良くないと思ったので、明日と明後日の2日間を使って、なんとか「学生」に戻れるように頑張ってみたいと思います。
(ちなみにですが、私は「大生徒(石原千秋による造語)」と「大学生」と「学生」という言葉は、現実の社会でそれぞれ明確に使いわけられるべきであると考えています。「大生徒」という言葉はそもそも造語で一般的ではないため実際に使われることは少ないですが、少なくとも「学生」と「大学生」という2つの言葉に関しては明確な使い分けが必要ではないかなと思います。この辺りは東京の自室に戻って文献を参照できるようになってから詳しく書きたいと思いますが、今は「学生」>「大学生」>「大生徒」の順でレベルが高いと考えてくだされば結構かと思います。)

というわけなので、明日からは、随分前に購入して手を付けていなかった広田照幸・吉田文他編著『シリーズ大学1 グローバリゼーション、社会変動と大学』(岩波書店,2012)を少しずつ読み進めていこうと思います。大学での生活も早3年目に入ろうとしているこの時期にこんな状態では非常に恥ずかしいのですが、まだまだ私は自分が専攻したい分野のことについてほとんど何も知りません。
新3年生を迎えるまでに、なるべくたくさんの知識を身につける必要がありますね。とはいえ、上記の通り私は非常に誘惑に弱い人間なので、正直なところ、これから新年度までにそういった類の努力をどれほど出来るかという点については私自身にもわからないところではありますが…。

2014年2月14日金曜日

今日からブログを始めてみます。

 いろんなことをしっかり考えて文章を書く場が必要だと思い、今日からブログを始めることにしました。

初めましての人は初めまして。そうでない人はお久しぶりです。
ブラック武藤と申します。これからできる限りの頻度で(毎日更新とは言いません。絶対にそんな芸当できっこないので。)ブログを更新していきたいと思います。

しかし、わりとその場の思いつきで決めた部分があって、まだどういうことを書いていくかといった細部までは詰め切れていません。が、(仮)とはいえ「研究日誌」 と銘打った以上は、自分が色々調べてわかったことを忘備録的に書き留めたり、自分の意見を主張したり、他の方々と意見交換などをする場として使っていきたいなと考えています。あとは日々の生活のことや、時々愚痴など吐きつつ、タイトルにとらわれず自由に書いていければと思います。


さて、これから外部に向けて何かを書いていくにあたり、まずは現時点での大雑把なプロフィールなどを公開しておきたいと思います。このブログの今後の方向性を決定づけるためにも必要なことだと思ったので、興味が無いかも知れませんがしばしお付き合い頂ければと思います。

・名前:ブラック武藤
 まだいろんな面で自信がないダメな大学生なので、本名の公開だけは勘弁していただきたく思います。 一応、「限りなく本名に近いHNである」とだけ言っておきます。
言いたいことをズバッと言えるだけの自信がついたらいずれ本名でいろいろ言っていきたいとは思いますが…。そうなるにはまだまだ時間がかかりそうなのでもうしばらくお待ちください。

・ 職業:大学2年(2014.02.14現在)
東京都のとある私立大学で大学生をしています。別段高学歴なわけでもなくいわゆる「ボーダー・フリー」でもない、ごく一般的な総合大学です。よく「二流大学」と呼ばれます(厳しい人たちにはしばしば「誰でも入れる三流大学/底辺大学だ」などとなじられ、うだつの上がらない日々を過ごしていますが…彼らにかかればあのハーバード大学ですら「ボーダー・フリー」に分類されてしまうので、そんな彼らの言うことはあまり信用していません)。
一応、現段階で大体の単位を揃えてほぼ卒業要件は満たしたので、新3年生となる来年度あたりからは本格的に「研究」というものをしてみたいなと思っています。誰が見ても立派な「卒業論文」を書き上げて卒業することが現時点での私のささやかな「野望」の一つです。他にも「野望」はありますが、それはまた追々書いていきます。それらはまだちょっと恥ずかしくて公言する勇気がありません。

・専攻分野:教育学(教育社会学)
学部生の分際で「専攻している」などとほざくのはおこがましいことかも知れませんが、書類の上では教育学を専攻している「ことになってます」。とはいえ、教育学自体がかなり広い分野であるということもあって、時々自分の専攻が分からなくなることもあります。
今一番興味があるのは教育学の中でも特に「高等教育論」と呼ばれる分野で、普段は主に「大学」や「専門学校」、「大学院」などといった一連の教育機関のことについて考えています。それについてはまた追々書いていく機会があると思うので、今は大雑把な説明に留めます。
このブログでもこういったテーマに沿って、(なるべくアカデミックに)色々と書いていければいいかなと思っています。

少々長くなったので、続きはまた次回以降の更新で書いていきます。 他に特筆すべき事項があれば後日追記していきます。願わくば、この計画が「三日坊主」に終わらないことを信じて、今回はこの辺で筆を置きたいと思います。
それでは、以後よろしくお願いします。