2014年3月8日土曜日

「雑記帳」を読み返してみる。

こんばんは、武藤です。

今日も全日フリーだったので、とてものんびりした一日を過ごしました。昨日と違って、今日に関しては本当にすることがなかったので部屋の大掃除をしていましたが、いざ始めてみるとこれがなかなかに面白く…ついつい凝ってしまい部屋中がとてもキレイになりました。





今日は、本棚の下半分の教科書や過去の講義のノートをファイルしたバインダー、ほとんど読まれることのなかった「学習指導要領」などを押し込んでいた棚を整理しましたが、その中から学部1年生のころにつけていた「雑記帳」を発見して、えも言われぬ気持ちになりました。

私は字が汚いため、手書きのノートの中身などはあまり人様に見せたくはない(講義ノートなどに書かれた文字ならばともかく、メモ書き程度のレベルになるともはや私にしか解読できません。暗号としてはそれなりに優秀な字体です)のですが、この雑記帳の中に綴られていた内容がなかなか面白かったので、今日はそれらをいくつか抜粋して紹介したいと思います。


2012年10月15日

・「荷物を置くこと」が「自分の座席を確保すること」になるとは思えない。
だから俺は、(講義中に隣の座席が -武藤註)空いていれば許可なく座るし、それに対していかなる反論も受け付けない。「あなたの」ためだけの座席じゃないですからね。

・「教室で質問をすることを禁止する風潮」はどこ由来のものかね?
きっと教育学の範囲。

2012年10月19日

・「大学」が「研究機関」であるならば、「AO入試」とか「スポーツ推セン(原文ママ)」とかの入試形態は「悪」でしかないね。
「研究者」(=大学生)には豊富な知識が求められるのに
この形式で入学する「研究者」は大体学もなく、基礎もなく、できることといえば
「趣味」のスポーツくらい。果たして彼らは「研究者」たりえるのかね。


ざっと読み返し見て面白かった日の雑記を書き写してみました。読んでみる限り、書いてある内容は日々のタスクやサークルのこと、学業面でいえば歴史学、言語学、教育学、社会学などに関する記述が多くを占めていました。
じっくりと読み進めてみると、当時の私は無い知恵を絞って色々なことを考えていたようですが、悲しいかなそこは「二流大学」の新入生。上記の引用部分もそうですが、考えていることの程度の低さときたら…我ながら残念極まりないです。

上記の引用部分からもわかるように、基本的にこの雑記帳には「感情論」しか綴られていません。その理由は単純で、当時の私はこの雑記帳の用途を「その時思ったことを殴り書きしてストックしておくためのもの」と定義していたからです。どうやら新入生の頃の「私」は曲がりなりにも自身の「研究」観を持っていて、そのために「私」はどのようなことをしなければならないのか、試行錯誤していたようですが、どうやらこの雑記帳の方法「だけ」では不十分であるような気がします。

まずもって足りないのは「根拠」です。どの雑記にも共通して言えますが、このノートに綴られている内容の大半が「事実関係を確認できない印象論」であるように思いました。
引用部分を例に取って見てみます。例えば、10月19日の「大学入試の形態」に関する雑記に書かれている、大体学もなく、基礎もなく、できることといえば「趣味」のスポーツくらい。」という一文などは、その論理の妥当性そのものに疑問があるように思います。

たまたま私の通う大学が「二流大学」であるために、その大学に推薦入試を利用して入学してくる学生の学力が低水準にあるという傾向は確かに見られるかもしれませんが、それを考えるにしてもサンプル数が著しく足りません。大方、当時の「私」は、たまたま初年次必修の講義に居合わせた「推薦組」の学びに対する姿勢を見てそう言っているだけでしょう。極小数のサンプルに見られる性質を、その集団に普遍的に見られる性質として考える「早まった一般化」は、典型的な非形式的誤謬の一例です。もしかしたら、「私」が出会った「推薦組」の学生たちがたまたまそうだっただけで、他の「推薦組」はとても勤勉かもしれませんし、仮に私の通う大学でそうだったとしても、他の大学の「推薦組」の学生たちはみな勤勉かも知れません。その意味で上記の文章には論理的妥当性がないように思います。


しかし、 私はこの「雑記帳」の内容がこれほどまでに論理的妥当性を欠いていたとしても、この記録が完全に無意味なものであったとは考えません。というか、途中で放置した挙句最近までなくしてしまっていたとはいえ、書いている当の本人は「大まじめに」やっていたわけで…それらすべてに私自身が「そんなことしたって無駄だったんだよ。やーいバーカバーカ!」なんて言ってしまうのはあまりにもあんまりなような気が…しないでもないです。
そう思って、以下で少しこの雑記帳の存在意義を擁護(自己弁護?)してみたいと思いましたが、書いてみると思った以上に内容がまとまらないので、また別の機会に改めて考えてみたいと思います。

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