2014年3月1日土曜日

大学生にとって「読書」は必要か。

こんばんは、武藤です。

私は、「gReader」というRSSリーダを利用して主にネット上での最新ニュースを収集しているのですが、最近、大型匿名掲示板「2ちゃんねる」では「大学生の読書」に関する話題がホットなようです。私が購読しているRSSの多くはいわゆる「まとめブログ」で、2ちゃんねるの話題などを大まかに網羅してあるので、(情報の真偽についてはほとんど信用していませんが)話題のトピックを知るために積極的に利用しています。

・VIPPERな俺:大学生の4割が読書時間「ゼロ」 平均26.9分wwww 本読まないで大学生とか無理だろ
http://blog.livedoor.jp/news23vip/archives/4632351.html

・ライフハックちゃんねる弐式:本を読まなくなった「大学生」は批判されるべきか?
http://lifehack2ch.livedoor.biz/archives/51492285.html


このように、ここ数日の間に、類似の記事が立て続けに公開されていました。特に「VIPPERな俺」にまとめられていた記事は、なかなか衝撃的な見出しから始まっていて深く印象に残りました。

私自身、それほど読書をしている方ではありませんが、 4割の大学生が読書を「全くしない」と回答したということに非常に驚きました。確かに、私の周りの友人達を見ても、日常的に読書をしていそうに見える者はほとんどいませんが…それはいわゆる「類友」的な何かの影響だと思っていましたし、他の大学の学生はみんな日常的に読書をしていると勝手に思っていました。

また、特性上、一定の思想に基いた(「偏った」と言い換えても良いでしょう)編集がなされる(そのため、まとめブログという媒体は信用性に欠けると私は思います)まとめブログですが、「ライフハックちゃんねる弐式」のまとめを見る限り、「情報資源としての有用性/利便性」という観点に基いた議論が中心を占めているように思いました。具体的には、「あらゆる情報に素早くアクセスできるインターネット上の情報のほうが便利である」派と「インターネット上にある情報だけでは不十分なため、書籍という媒体にある情報にもアクセスする必要がある」派が意見を交換しているように見えました。

私個人としては後者の意見に賛成ですが、私自身が情報技術の発達による恩恵を受けている部分が少なからずあることは否めません。CiNii Article(http://ci.nii.ac.jp/)などのデータベースがその例として挙げられると思います。特定のテーマについて自ら先行研究などを調べて発表するような授業もここまでいくつか履修しましたが、そういった授業においてはCiNii Articleにある先行研究などが非常に便利だったことが今でも印象に残っています。
勿論、その手の先行研究は本来的には紙媒体で存在するものなので、実際に紀要なり機関誌なりを参照することでも利用できますが…やはり欲しい情報へアクセスする「速さ」は、オンラインのデータベースのほうに軍配が上がるように思いました。

とはいえ、それ以外の情報についてはどうかといえば、全てが全て「信用できる」ものではないとも思います。もちろん、その点に関しては書籍などの媒体でも同様のことが言えそうですが、オンライン上の情報に関しては「誰でもアクセスでき、誰でも情報を発信できる」という特性にそのデメリットを見出すことができると思います。このブログもそうですが、インターネットという媒体の特徴の一つは、その気になれば私のような「素人」であっても一定の情報を発信することができる点にあります。そのような「素人」が発信する情報の中には、必ずしも十分に有用性・正当性を備えているとは言いがたいものも一定数存在すると思います。

特に教育学という分野は、広田照幸氏が『教育学 ヒューマニティーズ』(2009年,岩波書店)という本で最初に述べているように

「われわれはみな、生徒・学生として教育を受けてきた経験がある。だから、自分の経験を踏まえると、誰でも教育についてなにがしかの見解をしゃべることができるような気になることができる」 (広田 2009:1)

という特徴があるので、こと教育学に関するインターネット上の情報については、「素人」の発信している情報ほど「アヤシい」気さえしてきます…。そういった「真偽の定かでない情報」を鵜呑みにして「知ったつもり」になることは、とても危険なことであるように私には思えます。これがいわゆる「ネットde真実」というものでしょうか。

もちろん、先に述べているように、書籍に記録されている情報が必ずしも有用であるという保証も同様にないと思います。いわゆる「悪書」などはこの世の中には掃いて捨てるほどあるでしょうし、「良書」とされているものが必ずしも絶対的に「正しい」情報を提示してくれているわけでもないでしょう。
結局のところ、そういった情報を取捨選択し、各自が必要とする情報を選び取っていくスキル、すなわち「メディアリテラシー」が必要であるということはどちらの媒体を参照する場合でも同じことだと思いますが、個人的には、この能力自体はインターネット上の情報を参照する際に特に重要になってくると思います。

以上のようなことから、私はインターネット上にある情報のだけではなく書籍などの媒体から得る情報も必要で、その意味で、大学生にとって読書という行為は絶対に欠くことのできない営みであると考えます。

しかしながら、別に読書をする動機そのものは、そう固く考える必要もないのかなとも思います。実際、竹内洋氏によると、かつての旧帝国大学の学生ですら、「定番の書物は読んでいなければならない」(竹内 2003:66)という考えを持っていたそうですし、読書をする動機については、案外不純なものでいいんじゃないかと思います。多分、当時の学生たちの中には「せめてこのくらい読んでおかないとカッコ悪いよなー…」くらいの気持ちで読書をしていた層だっているのではないでしょうか。もちろん、今それを明らかにすることはできませんが…。

何か論点がズレてしまったようにも思いますが、とりあえず現状、私はこんな風に考えています。他に何か加筆修正すべき内容を思い出したら、また随時更新していきます。


参考文献
・竹内洋(2003)『教養主義の没落 変わりゆくエリート学生文化』(中公新書).
・広田照幸(2009)『教育学 ヒューマニティーズ』(岩波書店).

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