2014年2月25日火曜日

「『読書嫌い』のための読書術」があればいいのに。

こんばんは、武藤です。

今日は久しぶりに部屋の掃除をしました。思えば後期末のレポート地獄のさなかに「気分転換」と称した大掃除をして以来、帰省などを挟んで長らくしていなかったなと反省。

本棚の外に置きっぱなしだった本をしまい、今年度の授業で使用した教科書でもう読み終わったものや使わなくなったものは段ボールに入れてベッドの下に入れ、本棚周りも随分すっきりしました。

あまり知性の感じられない本棚ですが、そこはご愛嬌ということでどうか一つ…。整理整頓したら思いの外スッキリしてしまって少しさみしくもあります。
とりあえず、今日は本棚と水回りを全力で掃除して力尽きたので、明後日以降にこの本棚の中をもう少ししっかり整頓したいと思います。現状、読み終わったけどまだ参照する可能性のあるものと未読のものとが入り交じっているのでそのあたりをしっかり分けておきたいと思います。


それはさておき、最近あまり読書が捗りません。いやむしろ私の場合は捗っていないことのほうが多いですが、ここ最近は精彩を欠いている感が否めないです。なんというか、活字を目で追っているだけというか、そんな感じです。
そう思って、随分前に読了して本棚の肥やしになっていた永江朗『不良のための読書術』(ちくま文庫,2000年)を引っ張りだしてパラパラと読んでいましたが…なんだか余計にわからなくなりました。

永江氏は面白い本に出会うために「不良」になって、「不良」的に読書をしていく必要性を説いていますが、この「不良」がどうにも私には馴染みづらいものがあり、どうしたものかと頭を抱えてしまいます。
永江氏は『不良のための読書術』の中で、「ゴダール式読書法」というものを提案していますが、それにしたって、「この本面白くないなー。じゃあ50ページだけ読んでハイ終わり。」というのはなかなか貧乏学生には難しいことだなぁと思ったりします。もちろん金銭面でもそうですし、私の場合は特に読書の「目的」がある意味ではっきりしているからこそ、どうしても読みきってしまいたい。でも面白く無いから進まない…そんな感じです。

プロフィール欄にも書いているように、私は元々さほど「読書好き」というわけでもなくて、読書する「目的」はなにかと聞かれれば「教養のため」としか言えないのですが、この「不良」的な読書術はそういった目的で読書をする人たちには向いていないように感じられました。
特に「本を閉じてから大切なこと」(pp.234-258.)という章で書かれていることの多くは、やっぱりあまり同意できません。それは多分、私の本を読む目的が永江氏の考える目的と合致しないからだと思います。まぁ、こういった「『マジメなよいこ』的読書ではいけない!」というのがこの本の主旨なんだと思うんですが、私はどうにもその内容にあまり馴染むことができませんでした。というだけの話でした。


参考文献
・永江朗(2000)『不良のための読書術』(ちくま文庫).

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