2014年2月16日日曜日

読書感想文のようなものと「今年度最も印象的だった授業」の話。

こんばんは、武藤です。

明日の夕方の飛行機で東京に戻ります。次に帰省するのは3月中旬頃です。
実家ではいろいろと誘惑が多すぎてあまり読書がはかどらないので、東京にいる間になるべく多くの本を読むようにしたいですね。とはいえ、帰京してすぐに教授との飲み会や友人たちとの旅行などがあり、どこまで読み進められるのかは定かではありませんが…。暇を見つけて少しずつ読んでいくようにします。

さて、昨日の記事でも書いたとおり、今日から広田照幸・吉田文他編著『グローバリゼーション、社会変動と大学』(岩波書店,2012年)を読み進めています。不勉強ゆえの遅読が災いしてまだ読了には至っていませんが、現段階でひとまず吉田文「グローバリゼーションと大学」まで読み終わりました。

この文章の中で印象的だったのは、現代の大学を「商品」として見る視点でした。例えばオーストラリアとアラブ首長国連邦の間では、オーストラリアの先端的な大学教育を導入して「Knowledge Village」を構築したいアラブ首長国連邦と、産業としての大学を輸出したいオーストラリアの思惑が一致して、いわゆるwin-winの関係を形成することが出来た一方で、IMF(国際通貨基金)とラテンアメリカ諸国の関係はあまり健全な状態であるとは言えない状態だったことが述べられていました。

また、大学という教育産業の例として、アメリカにおける「フェニックス大学」と「ウベルニシタス21グローバル」 という2つの教育機関が紹介されていました。特に興味深かったのはフェニックス大学の教育システムでした。
吉田文氏によると、フェニックス大学の授業は高度にマニュアル化されており、教員はそのマニュアルに沿った授業を展開すればよいことになっているそうです。そのため常勤である必要がなく、全教員の90%以上が非常勤であるということでした。また授業は主に夜間に行われ、学生はアメリカ全土に200あるキャンパスで授業を受けられる点が特徴的でした。このような形態からフェニックス大学は「マック大学」と揶揄されているそうですが、その一方で「マクドナルド化」しているがゆえに、教育水準が一定レベルで保証されているという点に利点があると述べられていました。

「講義内容のマニュアル化」といえば…そういえば今年度の後期に履修したある講義が「悪い意味で」マニュアル化していたなとこの部分を読みながら思い返しました。その授業は基本的な講義形式のものでしたが、その内容が担当の教授の書いた教科書に基づいて構成されているもので、教授が話していることの大半は教科書の該当ページを参照していればわかるという、イマドキの大学では珍しい授業でした。
個人的にはこのような形式の講義には、昭和の大学のようなセピア色な風景を見出さずにはいられませんでした。大講堂みたいな教室に何百人もの学生が集まって、教壇で教授が用意したノートを読み上げ、学生はそれを一心不乱にノートに書き取る…といったような、そんなイメージです。上記の表現はかなり失礼だったかも知れませんが、なにせ私はその時代を「知らない」世代なので、当時の大学教育を連想せよと言われてもこんな感じの荒唐無稽な風景しか描けません。

しかし、その詳細は知らずとも、最近は文部科学省が大学生の勉強離れを憂いて万策を尽くしているということくらいは、その辺のしがない一学部生である私ですら知っていることです。その一連の施策の中で授業の内容などについての指示はなかったのか、はたまたあの教授が頑なに文部科学省の指示を無視し続けていたのか…。真相は闇の中ですが、ともかく大学に入学してあのような形式の講義を受けたのは初めてだったので、むしろ新鮮な気持ちで講義を受けることができました。
ただ、その教授が他の講義でも同様の手法で授業を進めているならば、その教授の授業を来年度以降に履修することをちょっと考えたいですね…。今回は初めて体感する講義だったが故に逆に新鮮さを感じることが出来ましたが、二度目以降は間違いなく「退屈」との戦いになりそうです。

そんなことを考えながら読み進めました。他にも重要な点は幾つもありましたが、それらについては機会があったら後日また書きたいと思います。
とりあえず、今日のところはこの辺で失礼します。


参考文献
・吉田文(2012)「1 グローバリゼーションと大学」広田照幸・吉田文他編著『グローバリゼーション、社会変動と大学』(岩波書店)pp.15-42.

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